聖なるズー (集英社文庫) [Kindle]

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  • ズー。動物性愛者のこと。
    zoophileズーファイルの略。



    というか、その前段階の、作者の生い立ちというか、苦労話が大変です。

  • セックスが気持ち良いと感じたことは1度だけある。逆に言えば1度しかない。それが性愛という愛を1番近くに感じた時だった気がする。
    愛を感じるには、受け取る器が必要なのかもしれない。その愛に合った器が。

  • 知らない世界をしることができた!

  • ☆精神医学では、動物性愛はパラフィリア(異常性欲や性的倒錯)の一つとされる。
    現在の社会の価値観からしても、「動物との性的な行為」は異常とみなされる。

    ☆我々は社会的に「動物との性行為は異常である」と教えられているから、それを異常と見ているだけかもしれない。
    社会学の「ラベリング理論」的な発想。
    ラベリング理論とは、社会の側が特定の行為を逸脱と判定し、その行為をする者を「逸脱者」とみなすことで、逸脱者が生みだされる、と考える理論。

    ☆動物性愛者である彼らは自分たちを「ズー」と呼ぶ。ズーであるとは、「動物の生を、性の側面も含めて丸ごと受け入れること」(p249)

    ☆ズーたちは、自分たちを性的倒錯者とか、変態だとは思っていない。

    ☆ズーたちは、動物が嫌がる時に性行為はしないと語る。これを聞くと「動物は言葉を話さないのだから、動物が嫌がっているかどうかを確かめることはできないだろう」と考える人もいるだろう。
    しかし、ズーたちはこう答える「もし動物が本当に嫌がってるなら、距離を取ったり噛みついたりしてくるだろう」
    ズーたちは「動物に誘われたらする」という。性行為の合図は恋人にしか見せないのと同様に、動物たちは二人きりの時にしか、そういう顔をしない、と語る。
    これに対して「それは人間側の都合の良い妄想だろう」と考える事もできるだろう。しかし、本当にそれがないと断言する事もできない。

    ☆p79ネズミと暮らすザシャ
    「セックスの話題はセンセーショナルだから、みんなズーの話を性行為だけに限って取り上げたがる。だが、ズーの問題の本質は、動物や世界との関係性についての話だ。これはとても難しい問題だよ。世界や動物をどう見るか、という議論だからね(以下略)」
    というザシャの発言は、かなり本質を射ていると思う。

    ☆p82犬と暮らすハンス
    「もしも犬が犬としての生をまっとうできる犬だけの社会があり、そこにクロコ(飼い犬)が生まれ育っていたとしたら、クロコは犬らしく、ありのままに、自由に生きることができただろう。しかし、僕のわがままでクロコは人間の僕に飼われることになり、人間社会に接しながら生きることになった。だから、クロコは苦労させられている」
    人には人のルールがあるように、犬には犬のルールがあるはずだ、という考え方は、まるでユクスキュルの『生物から見た世界』における「環世界」のような考え方に感じた。
    環世界とは「すべての生物はそれぞれが独自にに持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界である」という考え方。
    本来、犬には犬のルールや考え方があるはずだが、人間社会に根付いた人間のルールに従わせる必要がある。これはある意味、犬の持つ環世界を無視した営みなのかもしれない。

    ☆アメリカのトマス・ネーゲルが1974年に発表した哲学の論文「コウモリであるとはどのようなことか」も想起された。
    我々は犬や猫を見て「体を擦り付けて甘えている」とか「おもちゃで遊んでいる」などと解釈する。しかし、この解釈は動物を擬人化して思考した結果と言える。本当の意味で「犬の知覚で、犬の経験はどのようなものか?」「猫の知覚で、猫の経験はどのようなものか?」については分からない。ネーゲルはこうしたことをコウモリを例にあげて提起する。
    はたして、動物性愛者は「動物が本当はどう感じているのか?どう経験しているのか?」などを理解できるのだろうか?

    ☆p119〜
    ズーは、「ズー(動物性愛者)」と「ビースティ(獣姦愛好者)」「ズーサディスト(動物への性的虐待者)」をそれぞれ区別している。
    ソシュールの「言語は世界を分節する」という言葉を思い出す。
    世界にあふれている現象をどう分節化するのか?語彙にするのか?
    語彙があるからこそ、似た語彙であるAとBの違いを認識することができる。「AはAであって、似た意味だがBではない」ということが可能となる。
    一般の人たちからすれば「動物性愛も動物虐待も、動物への性的虐待も違いがわからない」と思うかもしれない。しかし、動物性愛者たちからすれば、「動物性愛者」も「獣姦愛好者」も「動物への性的虐待者」も、それぞれ別物として認識されている。
    何らかの分野について詳しくなるということは「素人には区別のつかない事柄を、繊細なニュアンスの差を理解し、区別できること」と仮定することもできる。

    《本書に関連しそうと思われる事柄の個人的メモ》
    《動物虐待の例》
    ☆☆『動物たちの悲鳴が聞こえる』p14〜15を参照
    「黒ムツ」動物虐待を趣味とする動物虐待愛好家を指すスラング。
    彼らの書き込みが集まるのは5ちゃんの「生き物苦手板」
    この「生き物苦手板」が世に広まるキッカケとなったのが、2002年の福岡猫虐待事件、いわゆる「こげんた事件」
    この掲示板では、毎日のように動物への虐待行為の報告、虐待行為の画像や動画、虐待行為の詳細な方法などが投稿されている。

    またYouTubeやニコニコ動画では、虐待まがいの行為をしている様子の動画が投稿され、「かわいい」と言われている。
    嗅覚の鋭い犬に、世界一臭いと言われるドリアンの匂いを嗅がせる動画。
    子犬や子猫に激辛食品や酸っぱいレモンなどを食べさせる動画。

    ☆☆他にも、生きたネズミを爬虫類に食わせる動画などで炎上するYouTuberもいる。

    《動物への性愛や性暴力の例》
    ☆旧約聖書のレビ記18章には「あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。」という、獣姦を道路に外れたことだとする言及がある。

    ☆島田裕巳『性と宗教』p74を参照
    また仏教の僧侶が絶対に犯してはならない戒律である波羅夷法「四分律」の一つに「婬戒」というものがあり、異性または同性、動物との性行為を禁ずる。また性器以外、口や肛門を使った行為も禁じられている。

    キリスト教も仏教も、動物との性行為を禁止する項目が明文化されている。ルールは起こっていない問題に対して作る必要はない。言い換えれば、そういう事が起こったからこそ、それを禁止するルールが作られたはず。
    古来より、人間は動物との性行為を行う事例があったことを示す、と見て取れる。

    そしてそれは、現在でも行われていることである。濱野ちひろ『聖なるズー』のp21〜22に、ドイツには動物性愛者撲滅の運動をしている団体「Aktion Fair Play」がいて、ブレーメン中央駅広場で、ヒトによる性的暴力を受けた動物の悲惨な写真をプラカードに掲げて、人々に呼びかけている、ということが書かれている。

    《ヒト以外への性的嗜好・愛着など》
    ☆魚に性的興奮をするヒト
    「バキ童貞チャンネルの動画"【インタビュー】魚でシ○る人が登場!跳ねる魚にムラムラする理由が衝撃すぎた…【正欲】"」を参照

    ☆初音ミクとの結婚をしたヒトなど架空(もう1つの世界)のキャラに恋愛感情を抱く性的嗜好「フィクトセクシュアル」
    →村田沙耶香の『消滅世界』のような世界観。

    ☆☆なぜこれほどまでに多様に性的興奮を刺激するトリガーがあるのか?
    性行為が単に生殖のための手段であれば、異性への性的興奮を喚起するだけで事足りるはず。しかし、精神医学のパラフィリア(異常性愛・性的倒錯)の項目を見れば、驚くほどたくさんの性的嗜好が確認されている。実に興味深い。

  • 動物と愛を持って性行為する人たちの話。
    日本でいう獣姦は、動物と無理やり性行為するタイプだったり、ドジョウを挿入したりといった過激派だが、海外だと動物保護法に余裕で引っかかる。
    そのため、動物保護法との闘いみたい。(実は日本は動物と性行為しやすい国である)

    ドイツの動物性交渉グループに密着取材。彼らは自分たちのことをズーと呼ぶ。
    ズーには、アクティブ(ちんこ入れる)とパッシブ(ちんこ入れられる)がいる。犬が大半だが馬や豚も居る。
    グループはパッシブ・犬・ゲイが多い。これは、アクティブは動物虐待といわれる率が高く、潜んでいるからだろうとのこと。

    彼らはみんな愛犬が誘ってきたと言う。手で出してあげるのも多い。犬の場合は大体は挿入してじっと二分ぐらい出し続けたら満足して離れる。

    パーソナリティを大事にするというのもよく出てくる。人間のパートナーとも、パーソナリティを大事にし、自然に性交渉するのと同じく、犬の場合もそれは同じとの言い分。

    ちなみに作者は大学時代をずっと性的虐待されて生きてきており、そのまま結婚…という、ずっと性加害の被害者。性行為の感覚がわからなくなり、取材対象に選んだ。

    ズーをカミングアウトするむずかしさなども取材。

    また、聖書でも人間と動物の性行為を禁止されている。日本でも、実は古事記で禁止されている。ということは、昔からよくあったのだと思われる。

    ==
    正欲に続いて、性的な内容の知らない世界。
    このあたりの書物を読むと、LGBTQ・多様性というワードがとても陳腐に思える。

    ペットの犬がクッションに向かって腰を振っているのを見た時に、「やめろ!」となる時点で犬と対等では無いのでは?対等なら、手でしてあげるとかじゃないの?それは動物虐待なの?という話

  • 動物を飼ったこともないし、まるで未知の世界だったが、奇妙な事柄から読後感は妙にスッキリした気持ちになった。

  • ドイツにはゼータという世界唯一の動物性愛者によるコミュニティーがあり、筆者はそのメンバーと共に過ごす。正直、この本を読むまでは動物にも性欲があるということを直視してなかった。家で飼ってた犬が昔、クッションに向かって腰を降っている場面を見てそんなことをして欲しくないと思った記憶が蘇った。ゼータの人々は動物を愛するというのはその性欲も含めて丸ごと受け入れることだと考えている。世間的には動物と肉体関係を持つのは動物虐待だと捉えられているみたいだけれど、これを読んだら分からなくなってきた。

  • ふむ

  • もともと動物性愛とか対物性愛とか小児性愛について知りたくて読んでみた。これ読んでから動物にも性欲があることを動物を見るたびに思ってしまうな。色々自分の中でまとまってないけど本を読む前と後ではズーに対する認識が結構変わった。。。

  • 大分前に買ってずーっと(ズーだけに、ってやかましわ)、寝かしていた本をチクチク読んで読了。動物と本気(性愛含む)パートナーシップを結ぶ人たちのルポ。こういうのを声高に言える団体がいたり、途中出てくる性について超絶オープンなイベントが開かれたり、何か個人的に昔から思うところのドイツっぽい話。筆者が元々DV被害者という事もあっての執筆というか研究動機らしく、後半は性愛についての個人的な思いも積極的にディスクローズされており、何というか非常に重いところもあって好きな感じの本でした。興味深く読了。

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著者プロフィール

濱野 ちひろ (はまの ちひろ)
ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。2018年、京都大学大学院修士課程修了。現在、同大学大学院博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。2019年『聖なるズー』にて第17回開高健ノンフィクション賞受賞。

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