言語が違えば、世界も違って見えるわけ (ハヤカワ文庫NF) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 例えば、色の違い。
    ホメロスが『イリアス』と『オデュッセイア』に描く空が青くないのはなぜか。大昔の人々は青が知覚できなかったのか?あるいは文化的要因によって青は存在しない、こととされていたのか。もしくは、レトリックとしての「詩的許容」?

    冒頭から、こんな興味深いトピックで始まる。
    本書の主題は、用いる言語が、その人の思考や知覚を規定あるいは制限するのかというもの。

    とはいえ、この困難な問いに答えることはほとんど不可能だとわかる。しかしながら、多くの言語学者たちはこれまで、さして検証することなしに、言語と思考のあいだにあらゆる相関関係を見出し、それを安易に因果関係としてすり替えてきたという歴史がある。

    逆に、本書にも紹介されているようにグラッドストンのホメロスに関する突拍子もない珍説のなかにだって、いくばくかの真理はあるかもしれない。

    著者(ちなみに母語はヘブライ語)は、不可能を承知で、言語と思考をめぐるとっちらかった状況を慎重に整理しようと試みる。その意味で、本書は読者にあっと驚くような事実を次から次に手品のように見せるといった類の書物ではなく、私たちが知りうる範囲で、言語が思考に影響を与えるかもしれないケースを、あるいはそうではないケースを、ひとつひとつ丁寧にふるいにかけていく。とても信用にたる本なのだ。

    権威ある人がこうおっしゃっていた、とわたしも人から得意げにいつか聞かされたことがある。というのは、「言語の複雑化は社会の複雑化である」というまことしやかな命題。
    本書を読んでよかったのは、これがほとんどインチキだとわかったこと。というか、雑すぎるということ。

    ちょっとややこしいのだが、言語学者の間では、未開社会だからといって言語が単純なわけではない、というのが常識であるらしい。
    でもこれも眉唾らしい。というか、何を未開とし、何を単純とするかもろくに定義されていない。それどころか、その基準となる指標を設定しがたい。

    例えば、人口の少ない集団では、互いの事情を詳しく知ることができるから、言葉を多く費やす必要がないため、動詞と主語の分離がなかったり、格変化が多かったり、関係詞がなかったりする場合もある。それに対し規模の大きな都市などにおいては、まったく未知の人たちとの接触も増えるため、主語と動詞が分離し、動詞の変化も別の語によって補われ、入れ子的な文が多用されるケースもあるという。しかしこれも普遍的真理ではない。

    一方、複雑さを「語彙の多さ」という点だけに絞るならば、規模の大きな都市集団のほうが、語彙は圧倒的に多いという強い傾向はある。

    だから、まるで預言でも吐くように言いたければ、
    「言語の複雑化は社会の複雑化である」とも「社会の複雑化に言語は影響を受けない」とも、好き放題言えるのだ。いやはや。

    本書はこんなふうな一般化を避けながら、しかし目をみはるような具体例を紹介してくれる。
    前後左右という語彙がなく、すべてを東西南北で捉えるグーグ・イミディル語。
    あるいは、過去が三段階に区別され、さらにその事実にどの程度の証拠性があるのかで四形態の動詞が存在するマツェス語!

    なにか一般論を引き出したい誘惑に駆られもするけれど、つねに具体につくことを忘れずにいるならば、それが生理的要因や地理的環境要因、その他さまざまなとほうもない要因によって偶然的に決まるのがふつうのことだと想像がつく。

    また、これは人類にわりと共通する傾向らしいが、人はちゃんと話すのが面倒だから、次々と例外が生まれ、それがいつのまにかちゃっかりと正統におさまっていたりするからやっかいだ。

    個人的にもっとも知りたかったのは、一見言語によっていい加減に分類されている男性名詞、女性名詞が、その言語の話者にその性別によるイメージを連想させるのか、という問題。例えば、フランス語の女性名詞である自動車が、女性らしさを連想させるのかどうか。これに関しても、言語学者たちの面白い実験(そして苦闘の跡)がいくつか紹介されている。

    そうそう、書き忘れたけれど、こうした興味深い内容の本だとしても、著者の語り口のユーモアがなければ、いくら興味深いからといっておそらく本書を最後まで読み通さなかっただろうと思う。
    内容は信用に足るものであるのに死ぬほどつまらない本にこれまでいくつもであってきた。だからこういう本に出会えると嬉しくなるし、なかなか貴重だ。多くの人に読まれてほしい。

  • 難解で退屈になりがちなアカデミックな内容をとても魅力的かつ興味が湧くように人間の認知に対しての言語がどう影響しているかを綴っています。
    タイトルの謎感とプロローグの書き出しを読んで手に取りました。思った通り知的好奇心をくすぐるエピソード、歴史が満載でした。
    (研究内容の詳細が語られる部分は理解するのにレベルが高いのでご容赦くださいませ)
    ここでは語られていない疑問を読書で得ました。言語によって観える世界が違うとして資本主義と種の起源が生まれたのが英語圏(イギリス)だったことは英語の影響なのかしら?

  • 言語が違えば思考方法も違うだろうか。

    なんとなくYesかな、と思うけれど、言語学者での主流派Noであるらしい。
    つまり、特定の言語を使用すると、ある種の問題が他の言語を使用する人よりも有意に解くことができる、ということはなさそうだ(少なくとも今までにある種の問題というのは見つかっていない)ということらしい。

    でも、と著者はいう。
    いろいろな言語の分析や実験を通して、言語が思考に影響するのは確かそうだといえる、というのが結論である。

  • 前半は、言語によって人間の認識する世界が大きく変わる、という過去の言語学者たちのある種魅力的でもある主張の多くが否定されてきた歴史が描かれています。一方で、厳密さを求める最新の研究の中で少しずつ分かってきた、言語の違いが認識能力に影響する確かな例がいくつか紹介されます。

    そういった結論を初めからダイレクトに解説するのではなく、あえて言語学の1テーマについての歴史を時系列で語る形式を取っています。それによって、言語学についてのうんちくを知るだけではない、言語学者たちが織りなすひとつの物語を楽しむこともできる本になっています。

  • 言語が違えば世界は違って見える。言語の構造の違いは互いに言葉を尽くして説明し理解し合うことはできるが、そうしない限り世界は違って見えている。ここで挙げられるいくつかのテーマのうち、例えば色。日本人は未成熟な色を青という。青い麦や青リンゴ、青信号は視覚的な意味と違う。中国語では青春や青信号は使うが、水色や空色は通じなかった。フランス人にコレットの『青い麦』があるじゃないかと、逆通訳して直訳して言っても伝わらない。不気味なブルーの麦を思い浮かべるだけだ。前後左右という概念、言葉がなく東西南北で話すグーグイミディル語。ヨーロッパ言語は男性名詞、女性名詞があるが、このジェンダー区分けが15にもなるオーストラリアの現地語など。見えてるものが違えば言葉が違う。言葉が違えば考え方が違う。考え方が違えば文化が違う。文化が違えば世界は違って見える。面白いサイエンス本である

  • 801 : 言語学

  • ☆まあ、そうかもな

  • おもしろかった!新しい視点を手に入れた。

  • 筆者はイスラエルの方のためヨーロッパからの視点がメイン。
    自分の文章を英語に直すと、いかに主語が曖昧な文章を書いているか思い知らさせる。

  • 2023/6/26

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