新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • ラグジュアリーの意味が本文に記してあるとおり、わかりにくいが、私にとってのラグジュアリー(生き方なのか・生活なのか)を探すための大変参考となった。

    〇美しく高価でこれまでなかなか手が出しにくかったものも、割安感があり気軽に手にできるセカンドラインが増えて様子が変わりました。値段・デザイン・品質のどれをとっても、あまり文句のつけどころがないものが多くなった。
    〇着ること、食べること、住むこと──これら衣食住の範疇に入るものは、細かい部分での流行はありますが、基本的にあまり変わりません。
    〇フランスの歴史学者、フェルナン・ブローデル(1902-1985)の言葉を借りるなら、人類史でこれらの分野は「惰性」で動いている。
    〇欲しいのは、行く先に灯を見つけ出そうとする能動的な願い、自らを再起動する力を実感することである。(何を言おうとしているか。誰が欲しているか。)
    〇民主化は、上下そのものをできるだけなくし、かつ公平な機会のもと、新しい価値を人々の創造意欲によってつくり出すこと。
    〇民主化と大衆化の2つを混同してきたか、外面がよい民主化を装いながら実際は大衆化を推し進めてきました。
    〇従来のエリート的な「排他」から民主的な「包摂」へと性格を変え、新しい時代に適合した世界の可視化がラグジュアリー領域に期待されている。
    〇この業界をフォローしている誰もが新しい鼓動を聞きながら、どういう方向が主流となるかについて確信が持てていないから混乱が生じている。
    〇きわめて偏見に満ち、頻繁に物議を醸す。しかし社会的インパクトが強い。
    〇さまざまな文化において、新しい時代の息吹に敏感に反応し、これまでの文脈を活かせる新しいモデルをつくり表現する。このビジネス分野がラグジュアリーである。
    〇ひとつの専門的視点だけでは語り切れず、むしろ専門が持つ閉鎖性から脱したところに自然に広がるのがラグジュアリーの風景なのだ。
    〇ラグジュアリー分野の対象を具体的に絞ると、アパレル、アクセサリー、自動車、アート、グルメ、ホスピタリティ、プライベートジェットなどをカバーします。近々、宇宙体験もこの中に入ってくるはずです。
    〇最も歴史のあるフランスのコルベール委員会、イタリアのアルタガンマ、英国のウォルポールの3団体が主導して連携を進め、欧州委員会へのロビー活動などはお互いに協力して行っている。
    〇従来の権威的なラグジュアリーが「旧型」になりつつあるのだ。背景には従来のタイプのブランドがあまりに規模拡大を目指したマーケティングを駆使してきたため、ブランドロゴの露出過多に人々は食傷気味になったという現実があります。
    〇1つ目。自動車や体験型領域は先進国の中高年が主流という市場構造は従来からあまり変化がありませんが、身の回りの消費財は若年層の台頭が著しくなっている。具体的には、ミレニアル世代(1980~1994年生まれ) やZ世代(1995年以降生まれ)と称される世代が顧客になってきました。2つ目として、企業活動にサステナビリティや社会的責任がより問われていることが挙げられます。3つ目は、これまでラグジュアリーで主要なステイタスを占めてきたヨーロッパ自体の変化です。世界におけるヨーロッパ文化の位置、ヨーロッパ内での多文化の受け入れも変わってきています。
    〇世界史の教科書では、植民地が独立した時点で植民地時代は終了したかのような説明がありました。しかし、実は旧宗主国と旧植民地の間には上下関係が暗然と続いていたのです。そして旧植民地の人権についても、旧宗主国の人から「下のもの」と見られる傾向にありました。このことに経済的にも豊かになってきた「解放された人々」が気づき始めた。または、ソーシャルメディアの普及で発言できるようになってきたためです。
    〇情報機器やソフトウェアは世界で均一のものを提供することに理がありますが、毎日の生活に潤いを与えてくれるようなものはローカルな文化が反映されていることが好ましい。
    〇すべての文化は異文化交流の結果であり、純度の競い合いは愚かなことです。
    ① 歴史の切り取り方 ② 異文化の理解の仕方と異文化要素の使い方 ③ 事業だけでなく文化と政治を同じ風景の中に溶け込ませること ④ 自らの文化アイデンティティの確立。
    〇BLM  Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)。直訳すると「黒人の命は大切だ」の意。米国での白人警官などによる黒人への虐待・殺害などをきっかけに起こった、人種差別への抗議運動とそのスローガン。SNS上では2013年頃から見られるが、2020年のジョージ・フロイド殺害事件により世界的に広がった。
    LVMH  Moët Hennessy - Louis Vuitton(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)。1987年ルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシーの合併により成立した世界最大のブランド・コングロマリット。ディオールやフェンディ、ケンゾー、タグ・ホイヤーなどファッション・酒類・香水・時計といった分野で 75 のブランドを傘下に持つ。
    テスラ  Tesla, Inc.。2003年にテスラ・モーターズとして設立。2004年にイーロン・マスクが650万ドルを出資して会長に就任し、2008年よりCEO。同年に初の量産車両「ロードスター」を発売。現在は電気自動車分野における売上世界一の会社で、ソーラーパネルなどの事業も手掛ける。
    ベイン&カンパニー  Bain & Company, Inc.1973年に米国・ボストンで創業された戦略コンサルティング企業。現在は世界 38 カ国にオフィスを持ち、ラグジュアリー領域の分析・レポートに定評がある。
    〇人間は大昔からラグジュアリーを必要とし、ラグジュアリーが時代を導き、特有の世界観を持った文化を形成してきたことがわかります。
    〇ラグジュアリーとは、誘惑的であり、豊かさを表すものであり、光り輝く(輝かせる) ものです。
    〇宮廷では、宮廷に仕える女性の愛と好意を得るためにパーティーが繰り広げられ、そのためにドレスや宝飾品といった贅沢品の需要が高まりました。
    宮廷貴族やその周辺の紳士が主なプレイヤーとなって行う婚外恋愛がラグジュアリーを生み、ラグジュアリーの競い合いがシーズンごとに変わるモードを生み、資本主義の発展に寄与したのです。貴族であれ新貴族であれ、男性は、愛人に直に金銭を支払うのではなく、洗練された形、すなわち彼女たちを飾るファッションや光り輝く小間物(bijoux)、彼女たちが住む住居のインテリアにふんだんにお金を使いました。ポンパドゥール夫人(1721-64) の私室は、ロココ文化の精華として、今なおエリゼ宮でひときわ存在感を発揮しています。金銀宝飾品や豪華なドレスという単純に光り輝くものが定番化を超えて陳腐となりつつあった時代の流れの中で、デザイン・文化・職人技巧・歴史遺産といった、よくいえば知的な、悪くいえば秘儀的な要素が「豊かさ」「誘惑力」の基準として浮上してきます。モーニングとアフタヌーンとイブニングで着替え、それぞれに「モストフォーマル」「セミフォーマル」のランクがありました。
    〇シャネルは香水・バッグ・靴・スーツ、そして女性の生き方や働き方そのものに至るまで、意味を変え、女性がより生きやすい、新しい社会を創造した革命家でした。
    〇ラグジュアリーは、人間の内発的な情熱に発する、クリエイティブで夢のあるものというよりはむしろ、市場を見据えて世界戦略的にマネジメントすべき規格(ラグジュアリー基準をクリアする規格) 型の商品やサービスになったのです。
    〇資本家がラグジュアリーブランドのグローバル化を進め、お金さえ払えば誰でも所有できるという大衆化をもたらした結果、消費者も特定のブランドへの偏愛を失い、資本家が広告宣伝費を投入した話題のブランドからブランドへと渡り歩くようになりました。作られすぎたラグジュアリーブランドの商品は、世界同一基準で同じものが大量に氾濫するだけでなく、アウトレットに行けば、ときに半額以下でたたき売られていることもあります。稀少性神話も失われていきます。このような流れには与しないラグジュアリーブランドももちろん存在しますし、「本物」のラグジュアリーは表に出てこないという事実は常にあります。
    〇雑誌やネットでの社長インタビューの発言のすべてを信じないほうがいい。
    〇書店に並ぶ「教義」のほとんどで「ラグジュアリーの知覚」と分析されている要素の中に、今後、時代遅れにならざるを得ないであろう項目があります。それは、「排他性」「名声」「階級を与える」です。
    〇供給側がつくる世界観だけではなく、購買者側の背景もすべて含めた全体的なコンテクストの中にラグジュアリーを考えることが必須になってきています。
    〇ラグジュアリーの歴史という視点から見ると、「Luxury」の反対語は「Poor(清貧)」ではなく、「Vulgar(下品)」です。「ラグジュアリーの反対語は貧困、と思い込んでいる人がいるけど、それは違う。ラグジュアリーの反対語は、下品、です。」この場合の「下品」とは、本来のものではないものになろうとすること。不作法なこと。美意識が欠けていること。合理性を追求するあまりギスギスした状態になっていること。
    〇スイスのグローバル・ブルー社が「エリートショッパー」と定義する人たちがいます。彼らは毎年3回以上の旅行、年間 15 日以上の外国滞在、年間 12 回以上免税店で購入を行い、5万5000ユーロ以上(およそ660万円)の出費をする人たちです。この層は免税購入客数の0・5%しかいないのにもかかわらず、金額ベースで免税市場の 17%を占めています。
    〇人々は『意味』を求めますが、特に『深い意味』を求めます。
    〇ベルナートさんがラグジュアリーについてより知りたいと想ったのは、How(どうやってラグジュアリーのビジネスメカニズムを知るか、つくるか) ではなく、Why(どうして人々はラグジュアリーと感じるか)であったのです。
    〇ラグジュアリーの認知は地域の文化によって異なり、統一的に捉えられるものではない。
    〇伝統的な消費者行動研究には大きな柱が2つあります。1つは認知科学・社会心理学・行動経済学が基盤になり、人の購買の意思決定のプロセスを解明して「売上をより上げる」ために貢献することを主眼とする「行動意思決定論」です。もう1つは、社会学や文化人類学にルーツを持つ、「消費文化理論」という消費者の経験全体を扱う系統です。これは処分まで含めた消費サイクルやコンテクストを前提とします。消費者のアイデンティティ構築、文化の創造者としての消費者、社会的演者としての消費者というテーマを扱うのです。
    〇ここ20年ほど、経営学の研究者やコンサルティング企業の研究、あるいはビジネスとして、高利益を生むラグジュアリーが注目されるテーマになって「旨味」が出ました。
    〇従来型のラグジュアリー産業を大きくリードする大資本グループは、フランスのLVMH、ケリング、そしてスイスのリシュモンの3つです。
    〇「ラグジュアリーは真正、つまり本物であることがまず課題になります。ベースには、次の3つの要素が必ず入ってきます。『職人の手』『創造性』『オリジナリティ』です。
    〇人は誰かの命令のもとに生きるのではありません。ポイントは、自分で手の動かし方を知っている存在が、仕事の成果を前にして、自ら幸せになれることなのです。
    〇サミュエル・テーラー・コールリッジの「老水夫の詩」(1798年)は、孤独な放浪者の内面を描くふりをしながら、実は、1781年に奴隷貿易船から疫病にかかった奴隷たちが積荷として海に投げられた事件を暗に描いています。
    〇「エレガンスとは抵抗である。」
    〇肥大化したラグジュアリーに対する違和感、白人至上主義を今なお引きずる旧カルチャーへの反発、グローバル資本主義が生んだ格差や弱者への配慮を欠いた政治とビジネスに対する異議申し立て、不平等を助長するようなルッキズム(外見至上主義)への抗議。
    〇オーセンティックは、その人のオリジンに立ち、その人らしさがあるという意味での「本物」。SNSでも盛らず無理せず、素の自分をさらけ出すほうが共感を得られる時代になっています。
    〇世界のヴィトン製品の売上の3分の1を日本が占めるまでに同社を成長させました。
    〇俗に「ラグジュアリー・コミュニティ」と呼ばれる、独特のルールに支配された世界です。支配者は、太い広告主でもある5大ファッションブランド、すなわち、シャネル、ルイ・ヴィトン、グッチ、ディオール、プラダ。およびそれに続くハイブランド群です。
    〇「新しいラグジュアリー」を考えるためには、日本で独特な形で普及してしまった偏りのあるイメージを、いったん切り離して考えましょう、ということです。ラグジュアリーブランドやラグジュアリーメディアは、ラグジュアリーという大きく豊かに広がる世界においては、その小さな一角を占めるビジネスモデルに過ぎないという認識を、まず持ちましょう。
    〇商品の「高級(に見せたい) 度」が増すほどにモデルの外国人(とりわけ白人)率が上がる現実を見ると、もしかしたら一部では(日本においても)まだ、無意識の中に、宗主国の美意識に憧れる植民地主義の幻影が残っているのかもしれません。
    〇購買者側も、権威のお墨つきに依存せず、それぞれの自立した美意識のもとに取捨選択できる。そのようなコンテクスト全体の「文化的な植民地からの解放」がもたらされるのが「新しいラグジュアリー」世界における理想です。
    〇日本発の「新しいラグジュアリー」企業として筆頭にくるのが、「マザーハウス」、その山崎さんに憧れ、同じ慶應義塾大学の 10 年後輩にあたる1991年生まれの深井喜翔さんは、2020年に ヴィーガンダウンの「KAPOK KNOTカポック ノット」を立ち上げました。
    〇少し前までは、グローバル、インターナショナルになることが求められましたが、それは単に白人化ということでした。
    〇世界に出るための条件のひとつとして、「文化的収奪に敏感であること」が挙げられます。
    〇50代半ば以上の人は、ダイバーシティに関する教育を受けてきていないし、そもそもカルチュラル・リテラシーの発想がない。いざ教えるとなると大きな規模感で取り組む必要があります。
    〇日本は権威主義だから組織をつくるのが好きなのでしょうね。権威主義だから続けるのも簡単だ。たとえばそれは「応援消費」です。自分がお金を使うことで誰かの役に立つ、という考え方に支えられた消費です。(谷町的発想)
    〇米国の新しく誕生した富裕層は高級品を買いたいと思うが、自身の選択に自信が持てないので評価されたブランドに手を出すようになった。一方、それは新しいお金持ちの曖昧な社会地位をより明確にするに役立った。
    〇文化の見方とは、それを見る人々自身の文化に依存します。
    〇フランスは贅沢や高級を重視し、イタリアでは高品質や美を優先します。
    〇学生に学んでほしいと願う3つの要素があります。1つ目は批判精神です。この分野は、さまざまな議論を生む材料があまりに満ちているからです。2つ目に創造性。手元にある知識や情報を用いながら工夫を重ね、あるモノやコトを新しい価値として提示していかないといけないのです。3つ目がレジリエンスです。いかなる苦境でも突破する力が求められます。
    〇欧州のラグジュアリーを世界で支えるためではなく、「民主化されたラグジュアリー」が各地でより誕生し、しかも世界各地でも共有しやすくためのプラットフォームが構築されている、と考えるべきでしょう。
    〇「緑・黄・赤」の3色は「 汎 アフリカ色」と呼ばれます。
    〇「文化盗用」は、政治・文化的に注目され、しかも経済的影響も大きいトピックです。それにもかかわらず、ハイブランド企業といえども十分な対応策が確立されているとは言い難い。これが現状です。
    〇ワイルドさんは、米国ノーザン・アリゾナ大学のリチャード・ロジャーズ氏(文化人類学) の論文における「4つの文化交流」の考え方を紹介してくれました。4つとは、①交流、②支配、③悪用、④文化融合であり、②と③が文化盗用としてネガティブな範疇に入ります。 ①と④は友好的で公平な文化交流となります。
    〇政治的や文化的に強い立場の存在が、他文化の要素を使っているかどうか。この点は大切ですが、それがすべて、行為の良し悪しを判断する基準とはならないはずです。大切なのは、『文化の借用行為がどう解釈されるか』だと考えます。
    〇発信の意図がどうであろうと、騒ぎが起きるときは起きる。要は発信者の「敬意を払った(つもり)」はほとんど顧みられることなく、受け手次第なのです。
    〇これらの国から来る移民・難民に対して国境を閉じようと議論しながら、『君たちの持つ色や素材は欲しい』と言っているのです。欲しいところだけ取ろうとしている。だからルイ・ヴィトンの『ジャマイカの文化に捧げた』と説明するセーターなど、偽善に見えるのです。
    〇純度を喧伝すればするほど、純度の正当性のいい加減さが指摘され、自爆に向かうことになります。
    〇異文化要素の採用では文化の盗用にならないように配慮し、自国文化遺産の採用では純度の問題で墓穴を掘らないように注意する必要があるわけです。
    〇自分のコミュニティの外にある文化要素を使うなら、可能な限りそのコミュニティの中に入り込んだ上で使いたいというのです。そして、「そのコミュニティの人に貢献できるかどうか」も使う上での指標にしていく。
    〇「共通点を見つけること」が平和への出発点であるとよく語られます。もちろん、それも大切です。しかし、共通だと思っている点にも違いがあるのが、異なる文化間の紛争の大きな要因でもあります。だから安易に「同じだね!」と飛びつくのではなく、違いをしっかりと受け止めることを起点にしないといけないのです。差異を認めれば、お互いに敬意を持つ感覚が磨かれていきます。その上で共通点が関係を補強するのです。
    〇実のところ、「アートニューズ」が発表する世界トップ200のアートコレクターの多くは、投資を本業としているのです。
    〇フランス人の女性ジャーナリスト2人、ダニエル・グラネ氏とカトリーヌ・ラムール氏が書いた『巨大化する現代アートビジネス』(2015年)があります。
    〇目を引くのは、この 20 年間で作品のジャンルががらりと変化したことです。戦後アートとコンテンポラリーアート(1910年以降の生まれで2019年時点に生存しているアーティストの作品)が2000年には全体の17%だったのが、2020年には55%に伸びています。モダンアート(1875~1910年生まれ)は 31%から26%、それ以外(1874年以前生まれの印象派やオールドマスター)が52%から19%に激減しています。コンテンポラリーアート隆盛の時代背景がこのような数字でもはっきりと出ています。
    〇コンテンポラリーアートの大衆化とはこうまとめられます。高額な作品の売買が一般の人も接するニュースでも話題になる。アートフェアが専門家に限らない人にも親しみのあるイベントになる。名の知られたコレクターの美術館で作品を鑑賞する機会が増える。同時に一般の人も、財布のやりくりで若手作家の作品を投資も含めて手に入れられる。有名作家の作品をコピーしたTシャツを着るのもそうです。
    〇具体的に言えば、芸能、社会的慣習、儀礼および祭礼行事、自然および万物に関する知識および習慣、伝統工芸技術が対象となります。
    〇多くの人は文化遺産がラグジュアリーの価値をつくると認識しています。長い時間の中で敬意を受けてきたモノやコトがラグジュアリーの対象になりやすいのです。
    〇熟練した職人によってつくられた凝った製品が『ラグジュアリー』と言われる傾向にあります。ですが、それは単に『ハイスペックのモノ』に過ぎません。実際は、そのモノをどう扱うかによってラグジュアリーであるかどうかが決まるのです。
    〇2015年に国連が定めたSustainable Development Goalsは2030年までの持続可能な開発目標です。これは略称のSDGsが一般化しています。17の世界的目標と169の達成基準が示され、調和ある環境・社会・経済の関係を目指しています。
    〇最高級ピアノメーカーは世界で3社といわれ、ベーゼンドルファー、スタインウェイ、ベヒシュタインです。
    〇継ぐべき文化遺産とは社歴にあるのではなく、コミュニティにあるのです。それが1つ。2つ目。ファツィオリは質を確保するのを優先し、無理な事業拡大をしないために、結果的にサステナビリティある経営をもたらしているのです。
    〇スローフードの活動には、倫理と、味・見た目における審美性の2つの要素が根底にあります。
    〇イタリアのラグジュアリーは「手仕事の強調」から始まりました。細部へのこだわりです。そして誰もが接することができる「日々のラグジュアリー」です。たとえば、華やかな生活を演出するものではなく、日常生活を心地よく過ごす雑貨などに焦点が当てられていました。これは世紀の貴族性に重心を置いたフランスに対抗するという背景もありました。
    〇スカンジナビア諸国におけるサステナビリティは地球環境の悪化を踏まえた環境保護を第一の動機とし、イタリアでは風景などの美を優先してサステナビリティの考え方があります。経済的な動機が、自然環境と社会環境の両方を壊しています。
    〇大手企業の場合、国外部分の製造プロセスを確認するシステムを整えていますが、孫請け以降の抜け道も多い。よって、「せめて国内プロセスだけはガラス張りにすることで、国外プロセスの不透明さを補完しよう」とする意図がないとはいえません。第三者にはいかんともしがたくそう見えています。
    〇大量生産・消費の効率を享受すべき分野もたくさんありますが、それがすべてではない。〇旅の目的は場所とは限らない。むしろ、新しいものの見方で学ぶことだというヘンリー・ミラー 。
    〇合理的には説明できない純粋にわくわくする喜び、理屈では説明できないほどの心の動き、つまりロボットやAIやアバターでは不可能な、生身の人間でなくては持ち得ない感情や心の動きといった非合理的な要素が、テクノロジーが発達していく近未来にこそますます重要になってくるということです。
    〇高潔な人とは、自分とともに社会の他の人の人生を豊かにしたいという『愛』を持つ、他者の生のために自分の能力を発揮しようとする人です。

  • 文化盗用をはじめ、近代的なブランディングに関するトピックに対する解説がなされている点で貴重。

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著者プロフィール

モバイルクルーズ(株)代表取締役。De-Tales Ltd. ディレクター。東京とミラノを拠点とするビジネス+文化のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画してきた。同時にデザイン分野や地域文化との関わりも深く、ユーザビリティやローカリゼーション、意味のイノベーションの啓蒙活動、ラグジュアリー領域のイノベーション等に関与。著書に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか? 世界を魅了する〈意味〉の戦略的デザイン』など。共著に『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』、『デザインの次に来るもの』。監修に、ベルガンティ『突破するデザイン』。訳書に、マンズィーニ『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』。

「2023年 『ここちよい近さがまちを変える/ケアとデジタルによる近接のデザイン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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