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感想・レビュー・書評
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あとがき(解説ならぬ解説)より
60年代後半から70年代にかけて、この本の冒頭にあるやうに自然は破壊されまくってゐた。林や森は伐採され、地面は平らにされ、宅地や工場へと姿を変へていった。農薬が撒かれ、田んぼから蛍や魚や昆虫達が消えていった。自然の美しさが消えた。
日本人は自然を愛する国民だと学校で習ったが、真っ赤な嘘だった。日本人は全然自然を愛さない。それが今にも続いてゐる。
位置No.653
地球上には、いまだ目を覆いたくなるような貧困や、耳を塞ふさぎたくなるような暴挙が、はびこっているというのに。綺き麗れい事ごとだけで飯は食えない。
「まさにその通り。今までのような搾取を続ける生活様式を変えない限り、間もなく臨界点が訪れ、地球の許容範囲を超えてしまうことは誰の目にも明らかじゃ。
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ほんとうにそうだ。
昔は、外は子供たちが走り回り、活気に溢れていた。
豊かではなかったかもしれないが、自然もあった。貧しくても、不便でも、幸せだった。
今は、豊かであると思わされているかもしれないが、実は、ひと昔まえよりも(時間的ゆとりも、お金も、環境も)はるかに、そして恐ろしいくらいに貧しい。
No.653に書かれている『臨界点』は、いまここで、迎えようとしている。
引き金を引くのは、岸田、河野。
WHはいつまでも目覚めない日本人を覚醒させるため、岸田と河野を野放しにしている、とも言われる。そういった意味では役に立ってるね。
日本は貧困国世界13位にランキングされた(※1)。
いまだに豊かだと本気で思っているのなら、認識がどうかしている(※2)。これもマスごみによる洗脳の成果であり、チンパンジー以下といわれるゆえんである(←FACTFULNESSのチンパンジークイズを言っています)。
※1 https://note.com/mafuca/n/n1ba2c401e2b3
※2 ちょっときつい書き方をしてしまいましたが、『暴かれた9.11疑惑の真相 /ベンジャミン・フルフォード』にある、「もしも○○○と思っているのだったら、あなたの脳みそは”崩壊”しているとおもったほうがいい」、と同じレベルです。本気でそう思っているのだったら、もはや救いようがないのです。
これまで何度か私は書いてきたけれど、国民はこぞって新幹線の開通、オリンピック開催、を待ち望んでいる、、、そんなことが言われる。違うのではないでしょうか。これはマスごみが、そのような街頭インタビューだけを集めて報道し、それがすべての国民の願いだと思いこまされているだけです。
北海道新幹線、私は乗ることがあっても1回とか、ですよ?きっと。もっと乗らないかもしれないくらい。
新幹線ができて、急行、特急が廃止され、料金が上がり、自然が破壊され、土建屋と政治家が潤う。残るのは国民の負債と荒れた自然だ。みんなが待ち望んでいる、という報道は印象操作と洗脳の成果。失うものを理解しましょう。
(それより、各都市を結ぶリニアモーター線,ありますしね(佐野美代子さんの著書をよんでね。使えるかどうかは別ですが。))
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位置No.241
それでは、その木の根元に一輪の花が咲いているとしよう。
やがて花は枯れ果てる。その花は生きているか死んでいるかと聞かれたら、なんと答えるかね?」
「花は死にました」
「しかし季節が巡れば、地中に眠る種が芽吹き再び花が咲く。命とはそういうものじゃ。生きとし生けるもの、すべての生命、人間とてその例外ではないのだよ。人間とて他の生命と等しく、増殖を繰り返す細胞のように、生まれては死に、死んでは生まれ、未来永えい劫ごうその繰り返しじゃ」
位置No.716
ある意味で死ぬことは不可能である。たとえ自ら命を絶ったところで、すべてを終わらせることなどできぬ。死とは状態の変化であり、終わりではない。自ら命を絶ったとて、問題は何一つ解決しないのじゃ。再び生まれ変わり、まったく同じ状況が、まったく同じ試練が待ち受けていることを覚えよ。その試練を自らの力で超えない限り、自己克服の機会を先送りするばかり、延々と同じことの繰り返しなのじゃ。
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『樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声/ペーター・ヴォールレーベン』
に書かれている、樹木の生き方はまさにそれであり、樹木は個ではなく集合である森林であり、そして世代を超えて生きている。わかりやすい例で言えば群れで生きるイワシもそうなのかもしれない。群れが生き残ればそれでいい。
そういった意味では、死ぬことは不可能である、ということには説得力がある。
エレナダナーンさんも、体は(たとえて言うなら車のような)乗り物、スーツであり、寿命のあるものだ。形あるものはいつか壊れる、とよく言われている。
壊れたら? 乗り換えだ。
スーツは壊れたら乗り換えできるけれど、地球が壊れかけてるもんな~。
どうすればいいんでしょうね。
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位置No.1038
人はなぜ幸せの真っただ中にある時、それを味わうことができないのだろうか。その幸せから遠く離れた時はじめて「あの時は良かった」と思うのか。結局のところ人間には、光と影の変化、物事の移り変わりしか知覚できず、物事の本質を見ることなどできないのかもしれない。
人はなぜ過ぎ去ったものばかりを見つめ、今を生きようとしないのだろうか。今という瞬間が自分から遠く離れて行った時、「あの時こうすれば良かった」と悔やむのか。結局のところ人間の目には、雲のように遠くに懸るものしか見ることができず、今ここにあるものを実感することはできない。人間の目には自分の姿が見えず、遠くに映る虚像だけを見ているのかもしれない。
そして人生には『あの時』だけがあり、今という瞬間は永遠に掴まえられないのか。人間には『いま』という時しか与えられていないというのに。
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子供の学芸会、運動会を思い出してしまいました。
そのときが幸せでしたよね。
それでいいのです。ビデオ録っても、(わたしはいちども)観ません。その時間、幸せを感じる時間を削って費やした時間は戻ってこなかったです。たとえが違うかもしれないですけど。
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位置No.1012
子供たちの掛け合う水はキラキラと宝石のように輝き、手の中には輝く未来が見えた。手の平いっぱいの夢と、希望と、可能性は、指の隙間からポロポロとこぼれ落ちて行く。人は新しい物を一つ手に入れるたび、子供の頃すくいあげた夢を、また一つなくす。一度おとした夢は波間に消え去り、再びすくいあげても二度と元の姿には戻らない。指の隙間からこぼれ落ちた夢は、一体どこへ行くのだろうか。小さなうねりになり、時間を超えた静寂の海へと流れて行くのか。時のしじまに打ちあげられた夢のかけらは、流れ着いた場所がどこかも判らず、夢は夢のまま現実の光を見ぬまま、はかなく消える。指の隙間からこぼれたものは……。
「もう二度と、戻れないんだ」詳細をみるコメント0件をすべて表示