家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択 [Kindle]

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  • マガジンハウス
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感想・レビュー・書評

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  • 切れ味のよい文章で気持ちよく読み進めた。
    半年ほど前のテレビ番組に著者が出演した際に話されて内容以上のことはなく、残念。結局断捨離して身軽に暮らす。おまけに断捨離については、こんまりさんの本を読むべしとのこと。「へ?はぁ・・・?」
    便利、可能性、分担の3つをやめることが家事がラクになる秘訣とのこと。
    便利な家電製品でより効率化を求めることによる溜まる洗濯物、もっとおいしいものがあるはずという可能性と求める気持ち。働き方を分担して家事は女性、母親が行うものという既成概念。なるほどそうかも。
    一人暮らしの著者は冷蔵庫も洗濯機もない暮らしを実践している。家族がある人もそれぞれが自分のことは自分でという「家事力」を身に付ければ、家電製品に頼らない暮らしが可能になるはずという。う~む、私はそこまでは・・・・。でもモノを少なくするということが心と身体の負担をとても軽くしてくれるのは納得。
    人生100年時代を生き抜くために、家事力が重要というのは、あらたな気づきであった。

  • とても楽しい本でした。
    すでに老後を生きている私が一つ一つ共感できるのです。
    最後のほうは特に思いました。こんな生き方(私の)でまあまあいいんだと。
    すべての人に読んでもらいたい…・

  • 何とも衝撃的なタイトル!
    とてもマネはできないけれど
    面白かった

  • 江戸時代の生活に憧れる私には興味深い事が多かった

    ものはものでしかない、なぜこんなに人は物欲があるのか
    自分の自由な時間のために、ものを管理する時間を極力減らしたい、つまりものを極限まで減らしたい
    ミニマリストに憧れる
    同じ生活の繰り返しが、老後の生活に易しいことを学んだ




  • 豊かな生活とは、日々片付いた部屋で、清潔で着心地のいい服を着て、美味しく健康的なものを食べること。これは多分誰もが納得することだと思う。その実行方法が「ラク家事」。いかにラク家事にしていったかが書かれていました。ミニマリストで、家電も、風呂もない家という修道女化したという著者の生活は、極端過ぎてマネはできないけれど、参考になる考え方がたくさん散りばめられていました!

    便利さや豊かさを求めて増え続けた物たちを整理するためには、自分の肥大化した欲望をなんとかする必要があると気づいたことがラク家事への道だったと言っている。「買う」行為そのものが、「キラキラした楽しみ」から「要注意行動」に成り下がったという著者。「買う」=「家事が大変になる」つまりはものが増え、掃除や整頓が大変になるという悪循環のスイッチオンというのも納得。

    興味深く思ったのは、100歳を超えても認知症を発症しない修道女の暮らしについて。著者も「家族よ、ボケと闘うな!」(ブラックマン社)という本で知ったというが、死後の解剖の結果、脳にはアルツハイマーの病変が出現していても、現実には認知症を発症しなかったケースがあるとのこと。年齢を重ねれば脳も体も不具合が出てくるのは当然のことだが、修道女たちは集団の中で自分のできることはしっかり行いながら、環境の変化の少ない暮らしを何十年も続けることで認知症になっても支障をきたすことがなかったのではないかという考察。

    自分にもいつかはやってくる老後。年齢を重ねて脳や体に不自由が出てきてもシンプルに暮らしていけるように、以下は実行したい。「一汁一菜」「モノは少なく」「自分でできることはしっかり自分でやる」

  • 「自分の身の回りの世話は自分でやる者」こそが人生の勝者

  • 「地獄」の反対語が「家事」に思えてくる。
    「家事こそは最大の投資である」(P94)
    言い得て妙。
    「家事」と「老後」を関連付けたのは
    画期的な「発見」に思える。
    「私には家事がある!」(P256)
    「『自分で自分の面倒をみることができる』
    ということこそ最高」(P257)
    まさに、道元のいう「貧なるが道に近し」
    の本質を「ラク家事」の視点で衝くという
    オリジナリティ。

    稲垣えみ子は朝日新聞の記者の頃から
    その記事が好きだった。
    容姿が特徴あった(アフロ)が
    それよりも自由な物言いが、今の
    高橋純子のようでステキだった。
    だから退社してからの本は
    興味を持って読んだ。
    『寂しい生活』は人生の指針と言っても
    いい位感銘を受けた。
    そんなわけで、当然の如く今回は「家事」だ。
    まあそう来る感じはあったが
    想定を上回る指摘だった。

    まず個人的にずっとか「家事」について
    思っていたことが2つある。
    ①フェミニズムが好きでよく読むが、
    「家事」を目の敵にするのは
    戦略上理解できるが、
    実際家事は「美徳」だからやったもん勝ちだと
    ずっと思っていた
    ②禅僧・関大徹の『食えなんだら食うな』に
    出てくる、死相のあった女性がトイレ掃除を
    したらそれが消えたという逸話。
    それは、見返りを期待しない善行(美徳)
    だったからなのだが、
    「掃除=家事」だったからかも

    そういったことを鑑みれば
    「家事さえできれば、お金を稼ぐ時間なんて
    無駄」(P5)
    「お金もモノもそんなになくても
    大丈夫だったのだ」(P21)
    「どんな贅沢も、これ(家事)以上の
    リラックスと心の平穏をもたらすことはない」
    (P28)
    「(生きている限り家事はついてまわるのだから)
    生きている限り、いつだって満たされている」
    (P29)
    という話がすっと腑に落ちるのだった。
    この目からウロコ、コペルニクス的転回、
    我が意を得たりの感覚は
    『買わない習慣』(金子由紀子)を
    読んだ時に似てる。
    本って素晴らしい。
    「美味しい」を「表面的な感覚」と
    言い切る感性(P92)は
    質素な生活の賜物だろう。
    生活、習慣、身体感覚が思想や感性を
    形作るということを知れる。
    素手で便器を洗う箇所(P214)と
    服を捨てるくだり(P218)は圧巻。
    そして粗食から
    「私には家事がある」と人生論に
    達する流れは見事だ。
    養老孟司『無思想の発見』は人生の書だが
    それに倣えば「家事」の人知れぬ意義を
    発掘した偉業に思える。アッパレ。

  • すんげーな!
    修道女のごとく、江戸の貧乏長屋のごとく。

    部屋の掃除をホウキ、洗濯は手洗い。
    このぐらいはできそう!
    一汁一菜。
    ものは少なく。
    ワテも少しは見習って生きるべし。

  • こんな生活はできないものの、憧れる。

  • 老後の光か。

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著者プロフィール

一九六五年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社で大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、二〇一六年に五〇歳で退社。以来、都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしのフリーランス生活を送る。『魂の退社』『もうレシピ本はいらない』(第五回料理レシピ本大賞料理部門エッセイ賞受賞)、『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』など著書多数。


「2023年 『家事か地獄か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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