- Amazon.co.jp ・電子書籍 (179ページ)
感想・レビュー・書評
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ホモソーシャリティを「有害な小集団」と読み替え、近現代の文学作品、男性学、政治・文化の運動体など様々な事例を引きながら、小集団ならではの可能性と功罪の両面を点検している。その作業が神経質なまでに丁寧なのは伝わるが、前半は他者の言説のパッチワーク的引用が多く、著者自身の立ち位置がいまひとつ不鮮明。鶴見俊輔の「仮とじ」の思想がひとつの処方箋として紹介されている通り、本書においては、テクストとテクストの合間を縫う「私」が行為遂行的に「仮綴じ」を実演しているとも深読みできる(仮綴じの「私」はマッチョに屹立する強い主語を回避し、自己主張のネガティビティにおいてかろうじての語りを確保する)が、その成否については慎重な判断が必要だろう。
結論では、ホモソーシャリティの偏りすべては除去できない、といった旨が述べられる。数々の文献狩猟や原理的な楕円モデルの提案を経た割に、ずいぶんと消極的で現状追認的な結論だ。これは、男性論者である著者がホモソーシャリティを批判することの限界を自覚してこその結論なのだろうか。あるいは、ホモソーシャル批判をもっともらしく装うことへの警戒や躊躇がこのような結論に着地させたのだろうか。複雑に構築された理論武装の頑なさを感じるとともに、ここには理念と経験の調停不可能性が根深く横たわっているように思えた。
ある思想を語る「私」と実際的な問題に面する「私」の矛盾、相克、不整合。自己批判的な身振りを批判的に追及すると、何かを語ろう、行おうとする「私」は限りなく縮減する(語り手は何処にいて、誰を断罪しているのか?)。いまだ残っている解消不可能な問題、書かれなかった空所の言葉も含め、書物のなかに仮構された「私」の在り処が気になる。詳細をみるコメント0件をすべて表示