世界史の中の戦国大名 (講談社現代新書) [Kindle]

著者 :
  • 講談社
3.00
  • (0)
  • (0)
  • (3)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 22
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (300ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 一般書の場合、読者の興味を惹くことは大事なことだと思うが、その点で本書は成功しているのではないだろうか。戦国時代というと大名間の合戦に目を奪われがちであるが、本書はまず、戦国時代の日本はこの16世紀に、ヨーロッパからどのように認識されていたか、より具体的には最も有名だったのは誰かという問いから始まる。それは「Coninck van BVNGO」(豊後王)と表記される大友義鎮(宗麟)だという。ヨーロッパにおける文献・絵画・版画等の史料で最も多くの遺物を確認できたとのことで、ザビエルとの対面場面を描いた絵があることなど初めて知った。
     確かに大友義鎮は天正遣欧使節派遣などの実績はあるものの、ヨーロッパからは「王」と呼ばれるほどの評価を受けていることと、それに対する国内における戦国大名としての知名度とのギャップが大きい。どのような立場から見られたものなのかを認識することが大事だというのが、この点からだけでも分かる。

     足利将軍の下で行われていた対明外交・貿易が、将軍権力の衰退に伴い、細川氏、大内氏の下に移行し、さらにこの時代は九州等の戦国大名が独自に、タイ、カンボジア、ルソン等の東南アジア諸国や、あるいはインド副王を通してポルトガルとの間で、主として貿易を目的とした地域外交を展開していた、その様相について、著者は国書その他の書状や発掘された海外産の陶磁器などの史資料によりながら明らかにしていく。もちろん、この時代ならではのキリスト教布教の様相なども説明されている。

     また、現在では寂れてしまったような町が、実はこの時代、海外との交易に開かれ地域社会における物流や交易の拠点として、あるいは「唐人」が滞在、居住して栄えていたことが説明される。それは例えば、薩摩半島の坊津や山川、豊後の府内、臼杵、肥後の伊倉といった町。 さらに豪商と呼ばれる国の境界を越えて交易を行う商人の実態が説明される箇所は、ほとんど知らないことが多く大変興味深かった。

     全体をまとめると、次のようなことになる。
     義満による日明国交回復による「日本国王」外交(集権期)→戦国大名「地域国家」による外交(分権期)→豊臣、徳川政権による外交・貿易を一元的に集約する「鎖国」体制の完成(集権期)

     日本が海外に開かれていた戦国時代について、特に為政者として内政・外交に注力した各戦国大名のf振る舞いについて、新たな見方、視点から見ることができて大変面白かった。

  • (関連)アジアの中の戦国大名 け、描かれたザビエルと戦国日本 けだ198.22E28

  • グローバルヒストリーという考え方があるのを初めて知った。研究書として視点が面白いと思う。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

名古屋学院大学教授。専門は日本中世史。
主な著書に『アジアのなかの戦国大名―西国の群雄と経営戦略』(吉川弘文館、2015年)、『戦国大名の海外交易』(勉誠出版、2019年)、編著に『戦国大名大友氏と豊後府内』(高志書院、2008年)、『大内と大友―中世西日本の二大大名』(勉誠出版、2013年)、『描かれたザビエルと戦国日本―西欧画家のアジア認識』(勉誠出版、2017年)、『戦国大名大友氏の館と権力』(共編、吉川弘文館、2018年)などがある。

「2021年 『交錯する宗教と民族 交流と衝突の比較史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

鹿毛敏夫の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×