語り手の障害者への倫理観を憂慮しつつ読んだ。読後の印象は悪い。けれども読み終えた後に「可哀相な姉」という作品名は要として機能していた。
テクストでは弟の内面描写が多く、他方で姉の内面はうかがい知れない。姉の発話は不自然なカタカナ表記であり、首肯と否定の身振りが逆になっている。このような卑しく書かれた描写と悪い病気に罹患している姉の姿に読者は〈可哀相〉とみるのだろうか。いやそうではなく、終盤の弟からの仕打ちを読み、はじめて〈可哀相な姉〉をみるのだろう。
作中で語り手が〈可哀相な姉よ!〉と憐憫する場面が二ヵ所ある。一つは「4」の終わり、草花売りとして働く姉を想像する場面。もう一つは「8」で弟の偽装とあべこべな身振りのために冤罪を被るであろう姉を想像する場面。後者の憐憫により読み手は弟の人間性を疑い、まさに作品名の「可哀相な姉」の本意を知る。
また現在では弟の〈大人〉になることへの切望とそれによって起きた殺人と偽装のトリックを〝嫌ミス〟の醍醐味として読まれるかもしれない。
姉は弟の面倒をよくみており、実際弟は〈姉を食べて大きくなったようなものだ〉と自覚している。そのため〈狭い家〉においては弟は姉に依存せざるを得ない状況となっている。
ただ姉は弟が〈大人〉になることを嫌う。これについて弟は反発するが、なぜ姉は特別に〈大人〉を嫌うのか。
仕事は〈路傍の草花売り〉であると姉は弟に偽る。しかし実際は〈見るに堪えない侮辱〉を受ける〈室咲名花〉であった。そのことはつまり弟が羨望する〈遥かの町〉にある〈大きな建築〉に対し、姉は〈カンゴク〉として忌避することの理由といえる。〈カンゴク〉の中で〈室咲名花〉として〈見るに堪えない屈辱〉を受ける姉にとって、〈大人〉の世界は恐ろしいものだ。その忌避感がそのまま弟の〈大人〉への成長の嫌悪となっている。
姉のいる〈狭い家〉に暮らす弟は〈遙かの町〉に惹きつけられている。彼は〈美しい女〉を見いだし〈つけ髭〉をこしらえて接近するも女に拒否される。そのことがかえって〈大人〉への切望にかわり、姉と反発してしまう。ここでの〈大人〉の象徴が〈髭〉であることは特徴的である。「5」で〈男は髭を生やさなければ、ほんとうの値打が現われないものであろうか?〉と問うた弟が「8」で〈だが、私は髭をすでに立派に生えたし、これからは誰に憚るところもなく、一人前の大人として世を渡って行くことが出来るのだ〉と驕るのをみるとどうも未熟な印象が拭えない。
ただし弟は「3」で〈親父と二人の阿母とに、地獄の呪いあれ!〉と嘆いてもいた。これは〈狭い家〉にいる姉弟の関係性の危うさを示唆しているかもしれない。弟にとって〈私の意思では決してない〉〈大人〉への成長が姉の悲しみになるのは〝禁忌〟への絶望とも読める。しかし「4」で〈遙かの町〉の女を見惚れた弟が〈大人〉への成長に積極的になったこと、また「8」で〈狭い家〉が〈唯一の主人である我家〉へと変貌したことはある種〝禁忌〟からの解放になっているといえる。