「翻訳本ってイチから作ってないから超楽じゃない?と思うなよお!!!」という心からの叫びが聞こえてきそうな出だしだった。特に今だったらすぐにぴたりと当てはまる言葉が次々と生まれる(社会学、哲学なんかは)時代なので、生みの苦しみは相当のものであったろう。その苦労があって今。先人に感謝。
翻訳だけでも大変なのに、それを超短期間でやらねばならぬ、さらに要約までとなったら、「お前翻訳なめんなよ!!!」と怒りたくもなるだろうなあー……。今だったら「こんな拙い訳文ww」って笑えるけど、当時はこれが精いっぱい拙い訳、限界を感じて危機感を持った人も少なからずいただろう。
森鴎外はドイツ語から翻訳をしていたそうなので、言葉に富んでいるからと褒められているけれど、やっぱり苦労していたんじゃないかなと思う。翻訳者によって様々な書き様があるので。(かの歌舞伎っぽいシェイクスピア笑から現在までの名翻訳まで)著者よりも上の技量をもってしてもまだ足りないってのは業が深いなあと思った。