万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

著者 :
  • 講談社 (1988年4月4日発売)
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本棚登録 : 1754
感想 : 130

再読。文体が合うかどうかでだいぶ印象が変わる小説だと思います。長く、やりすぎなほど長く続くセンテンスと、美しい比喩表現、そして登場人物の「翻訳口調」。どこを切り取っても常人では成し得ない高い技巧が凝らされており、読んでいて目眩がするほどです。特に1章にあたる部分ではその独特の文体が濃厚に発揮されていて、とぐろを巻くような言葉の連なりに酩酊感を覚えててしまう。2章以降はある一定のテンポが生まれ、上記した「翻訳口調」という部分が強調されてくるのですが、私この翻訳口調すごくすきなんですよねー。話の内容はまさしく”文学”って感じなのに、この口調のせいで妙な軽さ、そして奇妙さが備わっているのです。まるで邦画を観ながら翻訳された字幕を読んでいるとでもいうか、なんというか。中上健次のどろくさい文体とも、村上春樹の詩的(すぎる)な文体とも違う、この人にしか出せない「音」が文体から聞こえてくる気がします。

舞台となるのは1960年代の四国。谷間の村に妻と弟とともに訪れた”密三郎”を語り手として、この村で起きた一揆について綴られていく。学生運動に対する内省、戦後からの復興、朝鮮人、天皇、地方に浸透していくスーパーマーケット……。時代の転換点を見極め、作者自身が何事かに”ケリ”を付けるために書かれた本作は、熱量、完成度、文章の美しさ、読み物としての純粋な面白さ、すべてが高水準であり、そりゃノーベル賞だって取っちゃうよなあと感じます。

むかし読んだときはひどく暴力的で凄惨な展開が目に付いたのだけど、再読してみるとむしろ”密三郎”の思考の流れとか、”鷹四”との会話とか、文体の面白さとか、そういう内面的な方に魅力を感じたな。解像度があがるというのはこういうことなのだろうか。作者の真剣さが小説そのものに、言葉そのものに宿っており、読む側が真剣に読めば、それだけ多くのものが返ってくる。そんな豊潤さ。じっくり時間をかけて読み、頭がくたくたになりながらも、読み終わったときはしあわせな気持ちになっていた。これは神話ですね。現代を舞台とした神話。土俗的で政治的でありながら崇高さも持ち合わせているすごいやつ。こういうのを世界文学というのでしょう。

ちなみに私、大江健三郎の本はこれ一冊しか読んだことがなかったのですが、本書を再読してこれから他の本も読んでいきたいなーと思いました。一生かけて付き合っていってもいいと思える作者な気がするので。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年3月27日
読了日 : 2024年3月27日
本棚登録日 : 2024年3月27日

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