子どもの頃の切手収集をきっかけに、自ら切手を描き続けた画家がいた。
ドナルド・エヴァンズ。
”十万枚もの本物の切手のコレクションと、『全世界切手アルバム』全三巻にまとめられた千枚の架空の切手とが、物入の奥に残されました。”
切手の図柄とするために、架空の国を創った。
国を創るにあたって、言語や歴史、風物も創造した。
”一人の友人の名前が変形されて、一つの架空の国語の代表としての架空の国名となり、この名の響きが、他の虚実の国々の名のあいだで、自分の国語の無彩限の響きを背負うことになる。そして、はじめの名は、一人の人を離れて、見えない土地をありありと見えるようにさせていく。”
彼は不慮の事故により、既にこの世にはいないのだが、作者はドナルド・エヴァンズに日記のように葉書を書き続ける。
1ページを葉書1枚分として、ドナルド・エヴァンズの生涯を追いながら、彼の周囲にいた人たちとの交流を報告し、旅を続ける。
で、どうしてこんなに行間から詩情が立ち上ってくるのだろう。
葉書に描かれているのは詩ではない。
なのに、なぜ。
ドナルド・エヴァンズの母についての一文が、忘れられない。
”ドロシー・エヴァンズは蟹座の生まれで、水のそばが大好き。そして八十四歳のいまも、マートルビーチの水にカヌーを浮かべている。”
私も蟹座の生まれで水のそばが大好きだから、カヌーを浮かべることはしないとしても、海が近いところで暮らせたら、と思っている。
ま、札幌には海はないけど、その気になれば電車ですぐに海には行けるから、よしとするか。
- 感想投稿日 : 2024年2月27日
- 読了日 : 2024年2月27日
- 本棚登録日 : 2024年2月27日
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