風に恋う (文春文庫 ぬ 2-3)

著者 :
  • 文藝春秋 (2020年6月9日発売)
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『音だけでわかる。みんなが笑いながらそれぞれの楽器を演奏しているのが。音にそれが滲んでいる。音に一人ひとりの顔が見える』。

あなたは、何か楽器を演奏したことはあるでしょうか?小さい頃からピアノを習っていた方、バンドを組んでいた方、一方で小・中学校時代にリコーダーを吹いただけ…と人によって楽器に触れた経験はマチマチだと思います。そんな私は中学時代に吹奏楽部に所属していた過去を持ちます。”運動部”ではなく、”文化部”である吹奏楽部。当時、私の通った中学校では、圧倒的に”運動部”がメジャーだったこともあって、友達からも親からも、どうして吹奏楽部なんだとかなり詰られました。今となってはなんでそんなことで詰られる謂れがあるのかと反発の思いだけしか残っていません。

そんな反発の想いが残る私は吹奏楽の場で素晴らしい体験をしたという想いが未だ強く残っています。授業を終えて音楽室に集まってくる面々、ロングトーンで音を重ねていく、それぞれの楽器の音が積み重なっていく、みんなで一つの音の世界を作り上げていく、そのことがこんなにも幸せなことなんだ、と当時の私は吹奏楽の場が何よりも好きでした。

そんな吹奏楽の場を舞台にした小説も幾つか刊行されています。私が今までに読んだ作品では、額賀澪さん「屋上のウインドノーツ」があります。額賀さんのデビュー作でもあるこの作品は、かつてご自身も吹奏楽の道に囚われていらした額賀さんの思いが、デビュー作という特別な場でいかんなく発揮された傑作でした。そんな額賀さんが再度”吹奏楽もの”にチャレンジされた作品がここにあります。そんな作品を『青春は自分から遠いものだと思っている、大人の人達にこそ』読んで欲しいとおっしゃる額賀さん。『子供から大人になる過程で、忘れてしまった尊いものは全部、青春小説の中にある』とおっしゃる額賀さんは、『それを読んで、見つめ直すことで、取り戻せるものがいっぱいある』と私たちに問いかけられます。そんな額賀さんの熱い想いがこもったこの作品。それは、「風に恋う」という”王道のコンクールもの”として描かれた、吹奏楽に青春をかける高校生たちの物語です。

『なあ、茶園、本当に吹奏楽やめちゃうの』と隣で訊く杉野に『そうだね』、『やめるよ』と答えるのは主人公の茶園基(ちゃえん もとき)。『およそ半年前の西関東吹奏楽コンクール』で『目標だった全日本吹奏楽コンクールに進めなかった』基のいる大迫第一中学吹奏楽部。『燃え尽きたっていうか、やりきったって感じがする』と答える基。そんな基は、三月の卒業前恒例の『定期演奏会』の場にいました。『ソロパートが回ってきて』、愛するアルトサックスとの『最後のステージ』に思いを込める基。終了後、ホールを出た基は演奏を聴きに来てくれていた幼馴染みの鳴神玲於奈(なるみ れおな)と帰途につきます。『ソロ、よかったじゃん』、『高校でも続けたらいいのに』と言う玲於奈は『千間学院高校 ー 通称・千学の吹奏楽部』で部長をしています。『大学受験もあるし…』と誤魔化す基。しかし、そんな『千学の吹奏楽部が全日本に出場したのは、もう何年も前』のことでした。『あの頃と今では千学は別物』という今の千学吹奏楽部。そして、舞台は変わり、『今日から三年間を過ごす』千学の門をくぐった基は、チャペルの建物を見て『昔、ここで吹奏楽部の演奏を聴いた』ことを思い出します。『全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞』した時代の千学吹奏楽部の演奏を聴いて『雲の上の存在』と感じた基は、それがきっかけで吹奏楽を始めました。そんなチャペルの中に人影を見る基は、『あの人がここにいるわけがない。あの人が千学にいたのは、何年も前だ』とその姿を過去に見た人物に重ねます。そして、教室へと入った基は、『春辺第二中学校吹奏楽部』でトランペットを吹いていた堂林慶太と出会います。旧知の堂林と話をする中で、やはり『まさか吹奏楽部入らないの?』と驚かれる基。そんな堂林はスマホである動画を基に見せました。そこには、『夢やぶれて』を一人奏でる基の姿がありました。『玲於奈っ!』と勝手に動画を投稿したであろう犯人の元へ抗議に赴いた基に、玲於奈は『消してほしかったら、放課後に音楽室においで』と条件をつけます。『行ったら最後、入部届に名前を書かされる』と思うも堂林と音楽室へ赴いた基。『わー!一年生来た!』と黄色い声が響く音楽室。そんな所に『チャペル』で見た人物が現れました。『今日から吹奏楽部のコーチをする、不破瑛太郎だ』と名乗るその男。『君達を全日本吹奏楽コンクールに出場させるために、千学に戻ってきた』と語る瑛太郎は『入部希望?』と基に訊きます。そんな問いに、『全身を震わせるようにして』『はい』と答えた基。そんな基が、『全日本吹奏楽コンクール出場』へ向けて吹奏楽に青春の全てをかけていく日々が描かれていきます。

「風に恋う」と、どこかロマンティックな書名が付けられたこの作品。額賀さんの作家デビュー三年目にして10作目となるメモリアルな一冊という位置付けです。額賀さんと言えば、そのデビュー作の「屋上のウインドノーツ」は『茨城県行方第一高等学校吹奏楽部』で新しく部長に就任した日向寺大志が『東日本学校吹奏楽大会』への出場を目指して部を率いていく姿が描かれていました。そこでは、『ドラムセットを編成に取り入れたらどうだろう』と、一人の少女との出会いが物語を大きく動かしていく一つの青春ドラマの姿がありました。そんな額賀さんは10作目の小説執筆にあたり、編集者から『恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」を渡されて”次は王道のコンクールものにしませんか?”と言われた』と語ります。私もかつて吹奏楽部に所属した過去を持ちますが、コンクールとは無縁のゆるい活動(笑)でしたので知識は持ち合わせていませんが、吹奏楽の世界に”運動部”同様のコンクールの世界があることは知っています。この作品で舞台となる『千間学院高校 ー 通称・千学』は埼玉県にある私立高等学校という位置付けです。埼玉県に強豪が揃っているというのは吹奏楽の世界では有名な話のようで、この作品では、デビュー作が額賀さんの出身地である茨城県の中学校だったのが、強豪揃いの埼玉県に変更されたのはよりリアルさを追求してのことだと思います。そんな千学が『吹奏楽部にとっての甲子園』とされる『全日本吹奏楽コンクール』への出場を目指して活動していくというのが物語の大筋です。しかし、ゴールまでの道には『地区大会を皮切りに、県大会、西関東大会を突破する必要がある』というように、三つの大会での勝利を積み重ねていく必要があります。この感覚は”運動部”であれば当たり前の世界だと思いますが、いわゆる”文化部”では珍しいものだとも言えます。私も吹奏楽部時代には、腹筋を鍛えるために筋トレに精を出しましたが、そんなところも含めて吹奏楽部は”運動部”に感覚としても近い部分があるように改めて思いました。

そんなこの作品、デビュー後三年で吹奏楽部を題材にした二つ目の作品を書かれるというのも額賀さんの強い思い入れを感じざるを得ません。そこには、『私は中学の三年間、かなり一生懸命に吹奏楽と合唱をやっていて、その時のことが未だに自分の中にこびりついている』という額賀さんの思いの強さあってのことです。そんな作品ではご自身のご経験も踏まえられてだと思いますが、演奏シーンが額賀さんの筆の力によって見事に描写されていく様に魅了されます。県大会の場面から少しご紹介しましょう。『今日で終わりにしたくないね』と順番が回ってきてステージへと出て行く面々。照明の光が照らす中、指揮をする瑛太郎。そんな彼の『指揮棒の先が揺れるたびに、ステージの上で音が弾ける』と進む演奏。『グロッケンとヴィブラフォンの透き通った音にチャイムが重なる』、それは『青空の下で教会の鐘が朝を知らせるようで』、『トライアングルの音色はそこを鳥が飛んでいくみたいだった』という詩的な表現。一方で『体の中の、深い深い場所に、チューバやトロンボーンが響いてくる』という中、『大きく息を吸って、サックスへと注いだ』という基。『シンバルの音に合わせ、さまざまな楽器の音が舞い上がる。風に巻き上げられるようにして、遠くへ飛んでいく』、『オーボエのソロが来る。無音の空間に響いたオーボエの旋律は、まるで祈りのようだった』と続く演奏。そんなオーボエの音色に受験勉強との両立に苦しむ玲於奈。『私、もうちょっとコンクール出たいし、吹奏楽やりたい』という彼女の願いを強く感じる主人公の基というこの場面。読者もコンクールの客席へと気持ちが飛翔するようなとても美しく描かれる演奏の場面は、吹奏楽の世界を知る人間には鳥肌ものです。この額賀さんのたゆたう表現の世界がこの作品の一番の魅力だと感じました。そこには、”個人戦”として描かれる恩田さんの「蜜蜂と遠雷」と対照的な”団体戦”ならではの魅力、そして複数の楽器に光があたる吹奏楽ならではの魅力があると思いました。

“運動部”を舞台にした小説は数多あります。そんな作品の多くはその部の人間模様、特に部を引っ張っていく立場である部長となった人物、もしくはエースに光が当たり、勝利に向けての葛藤、青春まっしぐらに生きるそんな彼らの息づかいが描かれるもの、これこそが王道なのだと思います。その視点をまさしくそのまま”文化部”である吹奏楽部に持ってきたのがこの作品です。過去の栄光に比べ、『今じゃ、埼玉県大会も通過できない』という現状に沈む千学。そんな『弱体化した千学吹奏楽部に、黄金世代の部長が帰ってきた』と指導者となって帰ってきた不破瑛太郎の存在。そんな瑛太郎は『まずは一度、この部をぶっ壊すところから始めようと決めた』と、大胆にも『手始めに、部長を一年の茶園基に替える』というまさかの行動に出ます。これには、おいおい!と突っ込みを入れたくもなりますが、そんな無茶な展開を辿る物語は、それに表向き納得しても心の中で不満を抱える先輩たちの心の動き、大胆な対応をとった瑛太郎自身の心の動き、そして大役を任された基の葛藤などが丁寧に描かれていきます。自分を部に導く起点となった幼馴染みでもあり、部長職を奪い取ることになった玲於奈との関係の描写も見事です。『部長を一年』にするという大胆な設定の先にこれだけ描くことのできるドラマがある。ご自身二回目の”吹奏楽もの”にかける額賀さんの想いの強さをひしひしと感じました。

そして、最後にもう一つ。それは、いわゆる”熱血スポ根もの”のマイナス面を指弾する『ブラック部活』という視点です。『部活動は価値のあるものだと思うよ。仲間との絆を深め、教室では学べないことを学ぶ』。その一方で『夏休みなのに一日の休日もなく朝から晩まで練習したり』、『生徒に暴言を浴びせる指導者』、そして『大人になって吹奏楽を続ける部員なんて一握りなのに、勉学より部活を優先させるのは異常』という考え方の先にあるものです。『ブラック部活の問題で語られていることって、日本社会の問題そのものだと思うんです』とおっしゃる額賀さん。『”一分一秒でも長く捧げた者が正しいし、美しい”という考え方だけが良しとされてきたけれど、それは間違っている』とはっきりおっしゃる額賀さん。そんな額賀さんは『そういう人達がコンクールで勝つ、というお話には絶対すまい、と決めていました』と執筆に向けて誓った自らの想いを吐露されます。そう、そんな額賀さんが描かれた”吹奏楽もの”の第二作であるこの作品は、決して従来の”スポ根もの”の感覚を賛美する結末を見ない作品。この点にメスを入れられているのがわかるその展開は、従来の”スポ根もの”に額賀さんなりの問いかけをするものでもあったのだと思いました。しかし、それでいて結末に至る感動の物語は、確かにそこにあります。そう、『ブラック部活』の先にある感動は、そんなものを取り去っても変わらずそこにあることを教えてくれるこの作品の結末。この作品で投げかけられた額賀さんの視点は、今後の”スポ根もの”のあり方に一石を投じるものなのかもしれない、そんな風にも思いました。

『ぶつかり合うから、音楽は輝くんだ。仲良しこよしじゃなくて、戦って、たくさんの敗者が出て、そうやって、磨かれていくんだ』。そんなコンクールの場へと青春をかける高校生たちのひたむきな想いが詰め込まれたこの作品。そこには、『そうだ、こういうのが楽しくて、嬉しいから、吹奏楽は楽しいんだ』と、演奏によって一つの理想の世界を作り上げていく生徒たちの瑞々しい姿が描かれていました。“王道のコンクールもの”として、額賀さんが『入れられるものは全て入れよう』とその思いの丈を注いで描かれたこの作品。青春ってやっぱりいいよね、デビュー作の読後同様にそんな想いいっぱいに満たされた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 額賀澪さん
感想投稿日 : 2022年3月23日
読了日 : 2021年12月28日
本棚登録日 : 2022年3月23日

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