四十九日のレシピ

著者 :
  • ポプラ社 (2010年2月16日発売)
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『死者の魂は四十九日の間はこの世にあり、その法要が終わるとあの世に旅立つという』。

人は自分の人生が当たり前に続いていくことを前提に生きています。身近な人とケンカをするのもやがて仲直りをどこか前提に考えた上での行為だと思います。また、例えば『釣りに出かける』に際していつもの如く『妻が弁当をこしらえてくれた』という場面があったとします。それが当たり前に繰り返されてきた日常の中では、弁当を作ってくれたということに対する感謝よりも『弁当の袋にはソースがしみていた』という些細な問題についつい気持ちがいってしまうことだってあるかもしれません。そんな時、『ビニール袋に入れて持っていく?』と言ってくれた妻に『もういらんよ』とその場の感情だけでムキになって家を後にする夫、などということもあるかもしれません。しかし、『もういらんよ』などと冷たい言葉を投げかけられ『寂しげな』妻の顔を見たとしたら、それは夫の心の中に響くものがあるはずです。帰ったらなんと謝ろうか、仲直りのお土産を買って帰ろうか、そんな風に考えるのが普通だと思います。しかし、そんな風に当たり前に続いていく日常が突然に断ち切られてしまったとしたらどうでしょう。ケンカをして家を出た朝の光景、そして、

『それが生きている妻を見た、最後だった』。

そんなまさかの未来が待っていたとしたら夫はその先の人生に何を思い、何を考え生きていくのでしょうか?

この作品は、妻の不慮の死を前に『なぜ、あのとき怒鳴ってしまったのだろう』と後悔の念に苛まれる夫の物語。そんな夫に妻が遺してくれた『レシピ』の存在に、遺された夫がこの世を生きていくことの意味を感じる物語。そして、それは『四十九日』という儀式とは誰のためにあるのかをしみじみと感じることになる物語です。

『二週間前』、『釣りに出かけると言ったら、妻の乙美が弁当をこしらえてくれた』と、その時のことを思い出すのは主人公の熱田良平(あつた りょうへい)。しかし、弁当の袋に滲み出たソースを見て『おい何やってるんだ、ソース、袋にソースがしみてるじゃないか』と不満を言う良平は、『カバンが汚れる。いらない』と言って家を後にしました。『寂しげな顔をした』というその時の乙美。そして、『それが生きている妻を見た、最後だった』というまさかの未来が待っていました。『自宅で心臓発作を起こし、一人で世を去った』乙美。『なぜ、あのとき怒鳴ってしまったのだろう』と涙が込み上げる良平は、最期に見た寂しげな乙美の顔を思い出し『乙美は、幸せだったのだろうか』と考えます。そして『この二週間、まともなものを食べていな』いという日々を送る良平は、一方で『東京で姑と同居をしており』『数日おきに電話をくれる娘の百合子に』は、『困っているとは言いたくない』と考えます。『このまま食事を絶ったら乙美のあとを追えると思う』ものの『死ぬ度胸もない』という良平。そんな時『ごめんください』『おじゃましまーす』という声と共に『部屋の戸が開』きました。『うわ、クサッ』と声を出すのは『極限まで日焼けしたと思われる褐色の肌に黄色い髪、目の周りを銀色の線でふちどった娘』でした。『「井本」と名乗った』十九歳というその女性は『乙美がボランティアで絵手紙を教えていた福祉施設の生徒だと言』います。『あたし、乙美先生から頼まれて』と切り出した井本は『家の片づけとかダンナさんのご飯とか法事とか、そういう細々したのヨンジュウ、クニチあたりまで面倒見て欲しい』と言われたと語ります。『しじゅう、くにちだ』と指摘する良平に、井本は乙美の机の場所を訊くと、勝手に引き出しを開け『分厚い冊子』を取り出しました。『暮らしのレシピ、と書かれたその冊子』には、『料理、掃除、洗濯』…と項目ごとにカードが分かれ、『料理の作り方などがイラストで描かれてい』ました。『もし何かあったらこれを見てもらいたいって』と説明する井本は、『料理のカードをめくって差し出し』ます。そこには、『「葬儀の日のレシピ」、続いて「四十九日のレシピ」と書いて』あります。『葬儀も四十九日も読経や焼香』は不要で『レシピの料理を立食形式で出して、みんなで楽しんで』欲しいという記述を読む良平。そんな良平に『たぶんお葬式は無理だから』、その次、つまり四十九日には『明るくて楽しい大宴会みたいなのができればいい』、『それが夢』と乙美が願っていたと話す井本は、『一日五千円の四十九日分』のお金を乙美から既にもらっていると説明します。そして、『あたし、働きます』と『スポンジで浴槽を磨』きだした井本に焦る良平。『背中流すよ』と言い『ピンク色のシャツを脱ぎ、下着一枚』となった井本に『いいから早く服を着ろ』と怒鳴る良平。『早く脱ぎなよ、服、洗うから』と迫る井本。そんな時、『お父さん、昼間から何をしているの?』と『下着姿の井本の向こうに、娘の百合子が青ざめた顔で立ってい』ました。そして、『百合子の居場所を作ろう。そして乙美のために盛大な宴会をぶちあげよう』と、妻の『四十九日』へ向けて、立ち直っていく良平の姿が描かれていきます。

「四十九日のレシピ」という書名のこの作品。『四十九日』というと命日から49日目に行う大切な儀式のことが思い起こされます。この作品が取り上げるのも正にその『四十九日』のことです。そして『それが生きている妻を見た、最後だった』と、全く予期せぬ妻の逝去から『四十九日』までの期間に『このまま食事を絶ったら乙美のあとを追える』とまで傷心した夫が落ち着きを取り戻していく日々が描かれていきます。

そんな物語に登場するのが妻が残してくれた『暮らしのレシピ』という冊子でした。『料理、掃除、洗濯、美容、その他、の項目に分かれてい』るその内容は『洗濯や掃除のコツや、料理のレシピ』がまとまっているものです。その中に、この作品の主題とも言える「四十九日のレシピ」の記載がありました。自分の『四十九日』には、『読経や焼香はいらず、ここに書かれているレシピの料理を立食形式で出して、みんなで楽しんでもらえればうれしい』という内容に戸惑う夫・良平。そして、そんなレシピの存在を伝えてくれた謎の女性・井本の突然の登場。物語は冒頭から一気に動き出します。そんなレシピの内容を二つほどご紹介しましょう。

・『料理』→『パトカー、プラス信号でOK』: 『パトカーの白と黒、信号の赤、黄、緑、この五色のものを食べると、身体に必要なものがそろう』というもので、例えば『黒い食べ物』は『黒ゴマとかひじきとか黒砂糖』を指し、買い物の際に意識すべしと示唆している。

・『掃除』→ 『掃除機は重いから週に一、二回で十分。毎日、軽く不織布のモップで拭くだけでOK』: 『毎日の掃除』ですべきなのはこれだけで大丈夫と示唆している。

上記の通り『レシピ』の内容は決して特別なものではありません。いずれも生活の知恵といった面持ちであり、日常の生活で当たり前に実践されている方もいらっしゃると思います。しかし、この作品の主人公である良平は、妻の生前そういったことに関わることなく生きてきました。突然現れた井本が『家の片づけとかダンナさんのご飯とか法事とか、そういう細々したのヨンジュウ、クニチあたりまで面倒見て欲しい』と妻から託されたあたり、もし自分が先に亡くなった場合に、遺された夫や娘の生活を思いやる妻の深い愛情が感じられます。

一方で生前の妻の生き様にあまりに無関心だった夫・良平には、妻が生前携わっていた事ごと、人との繋がりの広さに驚くのは無理ありません。この作品では、興味深い固有名詞が多数登場します。その一つが『リボンハウス』です。『アルコールとか、…セックスとか、いろいろな依存』から抜け出すのを支援するという目的で設立された組織で先生をしていたという妻・乙美は、『料理とか口のきき方』、『服の畳み方とか洗濯とか買い物の仕方』を井本たちに教えていました。『マジですぐ役立つことばっかりで、ぶっちゃけ学校の勉強よりすごく?役に立ちました』という井本の感想にある通り、人が一人で生活していく中で必要なことを学ぶ機会はなかなかにはないものです。掃除が必要だから掃除機を買ったとしてもどのように使っていくのかは、それぞれの生活の中で少しずつ適切なやり方を見出していく他ありません。”ヘルシー嗜好”と言われて久しいとはいえ、健康を維持していくにあたっての食材の選び方を含めた自炊が自分の中でしっくりくるようになるにはやはり一定の時間が必要です。妻・乙美が『リボンハウス』で、生活する力のない女性たちにそういったことを指導していく中では、逆に身近な存在である夫・良平の先行きに不安が募るのはある意味必然だったのかもしれません。また、この作品では『テイクオフ・ボード』という考え方も登場します。まさしく『飛び箱の踏切板』に光を当てるその考え方は、『親が子を支えるように、みんな、誰かの踏切板になって、次の世代を前に飛ばしていく』という役割を『リボンハウス』に、そして乙美の生き方に重ね合わせるものでもありました。『板を踏み切って箱を飛んだら、もう思い出さなくていい』という通り、先に進んでいく者にとってはその『テイクオフ・ボード』は一つの通過点に過ぎません。一見、淋しい考え方にも感じますが、人の世はこの組み合わせで成り立っています。誰もが『テイクオフ・ボード』を利用し、その先には今度は自らが『テイクオフ・ボード』の役割を果たして次へと時代を繋げていく。思った以上に深い考え方を描く物語に、「四十九日のレシピ」という作品タイトルが改めて響いてきます。

人はこの世に生まれた限りいつかは死を迎えこの世を後にします。これは誰にも避けることはできません。一方で、それは自らと共にいる身近な人についても同じことです。人は生きている中で”予定”というものを立てます。来月の二十日に一泊二日で温泉に行こう、来年にはもっと広い家に引っ越そう、そして定年したら田舎暮らしをするぞ!といった”予定”の数々は、その時点まで自身の人生が続いていることを前提にしたものです。そんな”予定”に、自らの大切な人、例えば夫や妻が関係するのであれば、そんな”予定”の数々は、そんな伴侶の人生も続いていく前提のものです。そして、私たちは日常を過ごす中で親しければ親しいほどに喜怒哀楽を共にします。まさか、もう二度と会えないと分かっている人に冷たい言葉を投げかけて終わりにするなんてことはしないでしょう。しかし、人の世は無情です。そんな冷たい言葉を投げかけた瞬間が振り返れば今生の別れの瞬間だった…となることだって可能性としてはあり得ます。この作品では、そんなまさかの不慮の別れの後にも続く夫の人生に妻・乙美が遺した想いに光が当てられていました。

人が亡くなると古来よりさまざまな行事が予定されてきました。しかし、今の世の中、宗教的感覚も希薄になり、『四十九日』と言ってもなかなかピンくるものではないように思います。実は私も『四十九日』などというものは”お坊さんを儲けさせるためだけ”の形式的な行事という印象しかもっていませんでした。それが、父の死を経験してその思いが変わりました。まだまだ元気だった父親の不慮の死、それは突然に訪れました。父とは同居していたわけでもないですし、そんなにしょっちゅう会話をしていたわけでもありませんでした。しかし、いざ亡くなってみてその存在が自身の中に占めていた大きさを知ることになります。特に人との関係について私は思った以上に父親に相談していたことに気づきました。もちろん父親の一言ひとことに従っていたわけではありません。時には反発もしました。しかし、自分の視野からは見えなかった側面からのアドバイスは自分の考えをまとめる中で大きな支えとなっていたことに気付かされました。一方で人は思った以上に新しく置かれた環境に慣れる生き物だとも思います。例え環境が変わっても生きていくしかない私たち、その新しい環境下で生きなければならない私たちは、やがてその環境に順応していきます。この作品が光を当てた『四十九日』、それは、夫・良平が、妻・乙美の不慮の死を乗り越えて新たな人生を力強く生きていくための助走期間、そして、その『テイクオフ・ボード』を『四十九日』に重ね合わせていくものでした。そう、『四十九日』とは、死者のためではなく生者のためのもの、父の死を経験した私は、この作品を読んで改めてその認識を強くしました。

『四十九日』へ向けて『レシピ』を遺した妻・乙美の深い愛情を感じるこの作品。伊吹さんらしい優しさの感情が凝縮されたどこまでも優しさに満ち溢れたこの作品。『四十九日の間、誰もが答えを探し続けていたのだ』というその先に、この世に遺された者たちが、その先へと続く人生に力強い一歩を踏み出していく様を見るこの作品。『私ね、思い出した。レシピってお父さん、処方箋って意味もあったね』と『レシピ』という言葉に込められた妻・乙美の深い愛情に胸が熱くなる、そんな素晴らしい作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 伊吹有喜さん
感想投稿日 : 2022年1月22日
読了日 : 2021年11月14日
本棚登録日 : 2022年1月22日

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