ルリユール (ポプラ文庫ピュアフル)

著者 :
  • ポプラ社 (2016年3月4日発売)
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本棚登録 : 939
感想 : 62
4

『本というものは、人間と似ているのよね。こんなに未来の、科学の力で人間が月へも行く時代になったのに、いまだにこんなに柔らかいものでできていて、水や衝撃に弱く、傷つければ壊れてしまい ー 死んでしまう。永遠に生きることはできない存在のまま…』

電子書籍が普及しつつある現代、それでもその占有率は二割程度と、『本』と言えば『紙』という時代がまだまだ続いています。ブクログのレビューを見せていただいても、電子書籍で買ったけれど、とても気にいったので『紙』の本で買い直したという方もいらっしゃるほどに『紙』の本が持つ価値というものが今の世も存在し続けています。しかし、気に入って読み返せば読み返すほどに、どんなに気をつけていても『紙』の本は傷んでいきます。一方でプレミア価格のついた貴重な学術書、何かしらの初版ものでもない限り、傷めば新たに買いなおせば良いという選択肢もあると思います。また、汚れも破れも含めて、その本を自分が読んだことの裏返しという考えだってあるでしょう。しかし、一方で手にしているその『紙』の本自体に何かしらの思い出がつまっているとしたらどうでしょう。たとえ世の中に同じものが数多く存在するとしても、今手にしている、その『紙』の本に何かしらの意味があると考える場合、それは世の中に多数存在するそれらと同じものとは言えなくなるのではないでしょうか。そんな時、傷んだその本をなんとかしてあげたい、『本の痛がってる声が聞こえる』のであれば、その痛みをとってあげたい、本を愛する人ならではの感覚だと思いますが、そんな感情ってあるように思います。そして、そんな風に考える人は、本の痛みを取ることを職業として成立させるくらいにこの世にはたくさんいるようです。本の痛みを取り、本を生き返らせる仕事、それが”ルリユール”です。この作品はそんな”ルリユール”の工房に弟子入りする少女の物語、そしてそれは読者がそこに魔法を目にする物語です。

『ほおずき通りは、海のそば、古い大きな商店街の終わりから始まる、小さな細い通りだと聞いていた』という通りを探すのは主人公の江藤瑠璃。『絵がうまい』という『母さんに描いてもらった地図を手に』目的地を探しますが『母さんは方向音痴だった。そういうひとの描いた地図って、あてになるのだろうか?』と『今さらのように思い出し』ます。しかも『手に提げた紙袋が重い』というその中には『近所の書店で売り切れていて買えずにがっかりしていた』のに『駅ナカの書店で見つけ』て思わず買ってしまった『上下巻の分厚い児童書の新刊』が入っていました。そんな時『一瞬、誰かの視線を感じたような気がした』瑠璃。『大きな観葉植物が立っている』のを見て『あれを見間違えたのかな?』と考えます。『この街、風早の辺りには、昔からお化けや妖怪がたくさんいるのだ』と、おばあちゃんが話してくれたことを思い出します。『この街では、ときどき奇跡が起きるんだよ』、『物語のような、不思議が起きるよ』と話してくれた久しぶりに会う『おばあちゃんはこの町でひとり暮らし』。『沖縄で生まれて育』ち、『若い頃、アメリカ兵に恋をし』、『短い結婚生活のあと、おばあちゃんとふたりの小さな女の子を置いて、故郷に帰ってしまった』というアメリカ兵。やむなく『ひとりで子どもたちを育てた』おばあちゃん。『小さな食堂を始め、やがてこの街のひとになった』おばあちゃん。そんなことを考えていると『目の前の、古い小さな喫茶店から、ワイシャツの腕に上着をかけた男』が大きな鞄を持って出てきました。そんなまさにその時、瑠璃が持っていた『書店の紙袋』が『裂けるように破れ』、『鮮やかな赤い表紙の本が二冊、石畳の上に落ちそうにな』りました。『我ながらナイスキャッチ』と『華麗に本をすくい上げた』男の人。お礼を言う瑠璃に『この通りのあたりに、ルリユールの工房があると聞いてきたんだけど、知ってますか?』と聞く男の人。『…るりゆーる?』、『綺麗な響きの言葉。どういう意味だったろう』と思う瑠璃。『本を修復したりする、お仕事のこと、ですか?』と思い出したものの地元民でないのでわからないと答える瑠璃。『そうですか。噂だけ聞いて、急にきてしまったからなあ』と行ってしまいます。『仲良し食堂』の看板をようやく見つけた瑠璃は『がらりと引き戸を開け』ます。しかし『店の中には誰もいない。おばあちゃんも、お客さんも』と言う状況。そんな時『ひょっとして、瑠璃ちゃんかい?』という声に振り返った瑠璃の前に『覚えてないかい?丹羽電器店のじいさんだよ』と語る老人。そして『とみさんねえ、病院なんだよ』という言葉に、『自分の顔からさあっと血の気が引くのを感じ』る瑠璃。そんな瑠璃の風早の街の不思議を体験する夏休みの物語が始まりました。

村山早紀さんの作品に、なくてはならない街、『風早(かざはや)』。この作品も『風早の街』を舞台に描かれていきます。そんな街に夏休みをおばあちゃんの家で過ごすために訪れた中学生の瑠璃。小さい頃におばあちゃんから聞かされたとおり、そこは『ときどき奇跡が起きる』街、『物語のような、不思議が起きる』街でした。そんな『風早の街』を舞台にするこの作品。そんな不思議は瑠璃が石造りの大きな門のある洋館の前に立った時から始まりました。『お嬢ちゃん、なぜあんたは、こんな夜中に、裸足で歩いているのかい?』と話しかける声。『青い目が宝石のように光り、揺らめいた』というその声の主は『わあ、猫がしゃべってる』という、門の周りにいた七匹の黒猫でした。それを『お話の世界の出来事みたい』と冷静に思う瑠璃。『とても綺麗な夢を見た』と思っていたら、それは現実になり、そんな七匹の猫と暮らすルリユールのクラウディアの元へと通うことになる瑠璃。猫視点のみならず、猫が『人間の言葉』で話すということに違和感を感じさせない物語が展開していきます。他の作家さんの作品でも、猫視点の物語はたくさんありますが、この作品では、視点だけではなく、猫が普通に瑠璃と会話します。それに違和感を全く感じないのは、包容力のある『風早の街』という不思議世界のなんでもありの世界観がなせる技だと思いました。

『元は本というものがまだ貴重品だった頃のヨーロッパで』、『オーダーメイドで表紙をつけたり、古くなった本をまた新しく装幀し直したりする仕事のこと』を指す『ルリユール』という言葉。本というものが『とても高価なもの、長い年月ののちも、子孫へと受け継がれる宝物であり財産だった』という時代に生まれたその仕事によって『革の表紙に金箔を押したり、オリジナルの版画を挿入したりと、美しい本が競うように生まれて』いったという歴史。今の時代、その時代同等のニーズというものがどこまであるのかは分かりませんが、『立派な本でも珍しい本で』なかったとしても、『わたしには大切な宝物です』という本はあると思います。範囲を広げて、本ではなくて何かしらの『モノ』だと思えばそれはもう誰もが胸に思い浮かべる何かしらの『モノ』があると思います。例えば、私が大切にしているものは小学生時代に父に買ってもらった誠文堂新光社の「全天恒星図」です。天文少年だったかつての私を証明するその本。手に取ると今でも亡き父の想い出が蘇るその本には、汚れても破れてもただの本という気にはなれない想い出が詰まっているのを感じます。そう、『直せるものなら、どんなにお金がかかってもいい、修復を』という『ルリユール』への需要というのは時代が変わっても今も確かにあるのだと思います。

この作品でルリユールのクラウディアはその仕事を『儚い命しか持たないはずの本を、読み手と共に生きていけるように作り直すための技術』であると語ります。『未来の、そこに待つかも知れない新しい読み手のもとまで届けるための技術なの。本の命を延ばすために、できるだけのことはしてあげないとね』という本を未来の読み手へと受け継いでいけるようにと願う『ルリユール』のその想い。『世界中の本は、すべからく誰かのために生まれてくるもの』という今もこの世に生まれてくる本たちを未来へ残すために心を込めて一冊ずつに魂を込めていく『ルリユール』の仕事。そこに『風早の街』の不思議世界が絶妙に絡んでいくこの物語には、人それぞれに大切にする色んな本への思いに満ち溢れた物語がありました。

誰しも大切な想い出を胸にして毎日を生きています。そんな想い出を呼び起こしてくれるキーとなるものを大切に想う気持ちは誰にでもあります。そしてその大切なものが傷んだ時、それを魂のこもった仕事で蘇らせてくれる人が今の時代にもいました。『わたしの仕事は、この地上に一冊でも多くの美しい本を作り出すこと、一冊でも多くの壊れた本を修理し、はるかな未来へと送り出すこと』と笑顔で語るクラウディア。そして『それはきっと、魔法みたいなものだ。魔法使いでなくても、ものを作れるひとたちは、そのとき不思議な技を使っている』というその仕事。

本を愛する人たちの想いが魔法へと結実する不思議な物語、そこに起きる奇跡の数々を見せてくれた、そんな作品でした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 村山早紀さん
感想投稿日 : 2020年10月3日
読了日 : 2020年9月25日
本棚登録日 : 2020年10月3日

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