中盤の「対話と民主主義」の議論で、著者自身が経験した村民集会の話を読んだ時、かつて宮本常一が『忘れられた日本人』で紹介した寄り合いの話を思い出した。宮本はそこでの話し合いが理屈や論理づくではなく、おのおのの体験したことに事寄せて、時間をかけておこなわれるものだとしていたが、著者の体験もそれに似て、自分とは異なる暮らしやニーズに触れ、共有する体験の場とみている。それが今日では、「アルゴリズムによって仕分け・操作され、設計に従いばらばらに砕かれ、対話に敵対する場」と成り果てていると嘆いている。
ここから公共性とインターネットの関係がさらに論じられるのかと期待したが、パーソナライゼーションのアルゴリズムをどうすれば改良できるかという話に移り、少し肩透かし。結論も、企業やエンジニアの高い倫理性や情報公開に期待するもので、なんか落ち着くところに落ち着いた感じ。
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- 感想投稿日 : 2013年5月8日
- 読了日 : 2012年5月29日
- 本棚登録日 : 2013年5月8日
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