評価しない。
自分以外の対象を辛口に批評する場合、自分にもその批評の矛先が向けられる恐れがあると意識できるか、つまり、自分も完璧な人間たりえず、他者を切るには自分も血を流す覚悟が必要であることを自覚できているかで、純文学作品の深みも決まる。
とすれば、高慢でペダンチックで直情的で独りよがりの『レジナルド』に深みはない。自分は高みから物を言っている。自己の論理矛盾をこの男は絶対に認めないし、それを(一般にわかる)ユーモアでかわす余裕もない。
比較すればさらによくわかるだろう。
まず、シェイクスピアの道化。リア王しかり、結局沙王の道化は忠義心なり、我を秘めつつ、皮肉りながらも何かを諭そうとするところが根底にある。これに対し、レジナルドにはそれがない。
次に、ワイルドとは、世紀末の退廃性が似通うし(時代背景)、警句調も似る。しかし、ワイルドの方が鋭いし、普遍的だ。サキのそれは、イギリスのエドワード7世時代の上流階級という限られたそれに対してしか妥当しない。日本受けしないのはわびさびを欠く点のみならず、国も時代も違うという点も指摘されなければならない。
最後に、日本的には(私は必ずしも好きではないが)、O・ヘンリーのような分かりやすい説話的なものの方が好まれるのだろう。芥川や志賀直哉が好まれる風土がある。
以上より、自己陶酔的なレジナルドには純文学的な深みが欠けるから、私は本作品を評価しない。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
文学
- 感想投稿日 : 2016年12月23日
- 読了日 : 2016年12月23日
- 本棚登録日 : 2016年12月23日
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