戦争とは何だろうか (ちくまプリマー新書 258)

著者 :
  • 筑摩書房 (2016年7月5日発売)
3.46
  • (5)
  • (7)
  • (7)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 117
感想 : 11
3

借りたもの。
17世紀半ば~現代の“戦争”の概念の変容を歴史の流れから理解するには良いと思う。
現代のテロ事件の根底にあるものが、歴史の中で連綿と受け継がれているわだかまりである事が理解できよう。

よく言われる「狩猟民族の発想が戦争を引き起こす」ではなく、「農耕による定住と蓄えが、その集団内部で管理や分配に関する争いが生まれる」という視点に、「狩猟民族が扱うものは、そのまま武器となる」という先入観でしかないという事に気づかされる。(農具である鍬・鋤や手鎌も武器になり得るのだから)

戦争の定義――人と人がかかわる限り争いは必ずあるものだが、殺人が解禁されるという究極的な非常時への言及から、それが近現代の国家間戦争へと規模が大きくなったことを簡単にまとめている。
無法状態と思われる戦争にも“法”があることなど。
ウェストファリア体制について。

そこから見出されるものは、「国とは何か」「平和とは何か」という秩序の根本を問うものだった。
一定の領土と領民を有し一元的な国王=国家という体制の主権国家の成立から、和平と相互承認秩序によって成り立っている。

ただ、著者は軍事力とは異なる“もの”で平和を守るのか、明言はしていない。

911テロが、アメリカにとって「カミカゼ」の再来のようなものであったという指摘は腑に落ちる。
自殺攻撃という「狂気」――「生存への執着」「存在への固執」「自己保存の原理」という意味の「コナトゥス」という西洋哲学からくるもので、それは「善」ではない、すなわち「悪」――への怒り、拒絶があるという視点は、目から鱗だった。

イスラーム過激派の手段が、戦時中の日本に似ていると……確かに終戦間際は未熟な兵を起用していたのかもしれない。しかし、女性や子供、被戦闘員に爆弾を巻き付けるというそれは、果たして同義なのか?
死んでしまった人達から、真意を聞くことはできないのだが……

本書の最後で、“日本を再び戦争をする国にしようとする人たちが理想とするのはそういう国でしょう(p.181)”は、話が飛躍しすぎているように思えた。
その理由がロジカルに書かれていない。
感情論だった。

この国の為政者が軍をどうしたいのか、著者も誰も、理解していないという印象が強くなっただけだった。

日本の戦後反省とは、必ずしも過去にたち戻るものではないと思う。
それすら、私が信じているものに過ぎないのかもしれないが……

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 国防 / 軍事
感想投稿日 : 2016年12月20日
読了日 : 2016年12月20日
本棚登録日 : 2016年12月1日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする