曽野綾子さんの本は初めてである。ブックオフで何冊か買ったまま置いてあったうちの一冊。
2012年刊行の本であるのでやや古いが、「人間の基本」という大きなテーマを扱われた本であるし、当時の年齢でも80歳と、人間としても作家としても熟されている著者の語りであるので、「人生哲学」とか「人間学」的な話が聞けるだろうと期待して購入した。
「帯」にそれらしきことがたくさん書かれている。
・「恐るべきは精神の貧困である」
・「人生を無駄にしないための全八話」
はじめにでは、「足場というか、基本というのは、実に大切なものです。それがないと流されます。流されれば、自分を失いますし、死んでしまうこともあります。でも今の日本は、足場や基本は問題ではなくて、末端が大切な時代になりました。」というような問題提起がなされていた。
著者は、この頃、「人間の・・」とか、「人生の・・」とかの本を多数書かれているようだ。逆にこういうテーマの本は、駆け出しの作家にはかけず、大御所的な作家であればこそ扱えるテーマだろうと思う。
確かに、目次の流れから見ても、著者の人生経験を通しての、教育論、常識論、善悪論、プロ論、教養論、生死観、そして人間の基本に関する考えが述べられた本だと思うが、一部のレビュアーもおっしゃっているように、なんとなくスッキリ感がなく、腑に落ちない後味の悪さが残っているのはなぜなのか?
一つは、曽野さんの時代の人に比べて、現代の若者を無能扱いしている点に違和感を感じるのだと思う。上記のはしがきの言葉は、昔の人(著者も含め)は、足場や基本を問題にするのに、現代の若者は些末なことにとらわれているという論調だ。
今の若いものは、自分の知恵がなかったり、苦労知らずであったり、付和雷同的であったり、我慢が足りなかったり、の傾向がみられ、要するに人間の基本がなってないということを指摘されているように聞こえる。
そしてまた、若者がターゲットであると並行して、「日本人というものは・・・というような批判もある。
確かに経験豊かな大先輩の言葉であり、教訓に満ちているのかもしれないが、独断的な言い回しに、個人的にはやや反発を感じる部分も多い。
例えば、「私がよく『東大法学部は駄目』というのは、高度成長期に作られた、有名大学から一流企業に入れば一生安泰、という錯覚がどうしようもなく刷り込まれているからでしょうね。人は学歴だけでは生きていけない。」という文。
あえて、「東大法学部」と限定してして言う必要があるのでしょうかね。これがあるために、独断・偏見の匂いがしてくる。
また少し後に出てきた、「犬の飼い主が『シッ』とやって教えるように、幼児にも、初めは家の中でも外でもしていけないことをはっきりと教える。可愛がるのはいいんですが、ベタベタの猫かわいがりは絶対にだめということです。」という文。
著者の主張は主張として、仮に受け入れてみるとしても、この犬と人間をおなじように扱うデリカシーのなさというか、作家であれば、同じことを言うにしても、もう少し工夫ができるのではと感じた。
こういう感触を最初のほうで持ってしまったので、後半は走り読みとなった。著者の重要な主張は、次の2点として、自分なりに整理したい。
・物事には全て二面性がある(裏表、善悪、平等不平等、権利義務・・・)。一面にのみとらわれるな。
・自分の頭で考えて、自分で選択し、自分で経験し、自分で乗り越えよ。
- 感想投稿日 : 2020年7月25日
- 読了日 : 2020年7月25日
- 本棚登録日 : 2020年7月25日
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