過去に一度読んだ記憶があったが、ほとんど朝起きたら虫になっていたシーンしか覚えていなかった。
この始まりのシーンがあまりにも衝撃的で一度読むと忘れられないが、その後続のストーリについては、その内容が何を意味するものなのかを考えて読まなければ、ただのミステリアスなフィクションに終わってしまう。
もしも自分がある日虫になっていたら、家族や周りの人間はどんなふうにふるまうのか?その表面的な描写だけをカフカは描いたのではないと思う。
虫になってしまった自身の心理、それに対する取り巻く人たちの心理の変化を繊細に表現したのがこの作品ではないだろうか。
カフカ自身、人一倍感受性が強く、人の心を読まないと生きていけなかったし、その感度が鋭敏すぎて、外からの刺激に息苦しさを感じながら生きた人である。
主人公のグレゴール・ザムザの「ザムザ」は「カフカ」と発音が似ており、主人公はカフカではないかとも言われる。自分も読んでそう感じた。
「もしも虫になっってしまったら」を現実的な別の仮定に置き換えてみた時に、そのような家庭での家族の心理はどのように変化するだろうか、などと考えたりした。
「もしもリストラにあって稼ぎがなくなったら」とか、「もしもある日事故にあって障害をもつことになったら」とか、「もしもある日から引きこもらざるを得なくなったら」とか、、、。
そうしたときに、父親は、母親は、あるいは兄弟姉妹は、周囲の人たちは、どのような反応を示すのだろうか。
ザムザの家族の心の変化は、母親の息子(ザムザ)に対する愛情が感じられる一端はあったものの、非常に悲しい結末となっている。カフカの感じる家族像がそうなのか、家族一般がそうだとカフカが風刺しているのか。あるいは、カフカ自身が自己に否定的だったからか。
いずれにしても。カフカ自身の理想とは真逆の形でこの作品は書かれていると感じる。
- 感想投稿日 : 2019年5月2日
- 読了日 : 2019年5月2日
- 本棚登録日 : 2019年5月1日
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