約1年前に小説を読み、自分のベスト10小説に入ると思い、映画の評判を聞き及び期待値も高いという、辛口になりがちな状態で見たにもかかわらず、あぁ、いい映画だ!と感嘆詞をつけずにはおれない。
彼女が彼女なりのやり方で一生懸命生きている場所、つまり、脱することをどこか自ら頑なに拒否しているかのような貧しく(映画ではちょっと強調され過ぎた感のある)おぞましい家族の境遇を、私は「そこのみにて」の「そこ」だと理解したのだが、ラストの海岸のシーンで、朝日が当たって彼女がほほ笑む「光り輝く」シーンが、悔しいほど腑に落ちるようにえがかれている。
彼女の、水商売の匂いがする疲れた感じの身体にただよう色気と化粧っけのない潔い顔のコントラストがいい。
貧乏と情のループにとらわれているかのようにみえて、どこかでしがらみに甘んじているようにみえる彼女。その袋小路から積極的に出ようとはしないが、なんとも健気に生きている彼女に、私も主人公の佐藤同様、すごく惹かれるのだ。なんていい女なんだろう。
彼女が輝いて見えたのは、泳ぐシーンと、佐藤が山に行く決意をし彼女を家から連れ出すと告げたとき、そしてラストの、悲惨だけど新しい展開を予感させる瞬間。それ以外のときは彼女はほとんど自分の望んだのではないことをしている。
生きるために「処理」でしかない性をこなしてきた彼女が彼と「愛をかわす」濃密なシーンはこの流れでは欠かせないし、効果的だ。
綾野剛は演技も素晴らしかったし美男だが、私は小説から一貫して、彼女の一挙手一投足に目が釘付けである。諦念の中で精いっぱい生きてかわいくて自分がしっかりとあって男に媚びたり迎合したりしない。彼女の境遇が辛ければ辛いほど輝きが増すようだった。私は彼の目線でずっとこの物語をみていたのだと今になって思う。
彼女は、自分を救い出させることによって彼自身を救う。そういう女。
- 感想投稿日 : 2016年1月5日
- 読了日 : 2015年10月18日
- 本棚登録日 : 2015年10月18日
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