図書館にある村上春樹さんの作品の中で、一番分厚かったのを、休み中に読もうとして借りたのですが、
3連休で読んでしまいました。
1,2年前かなぁ、「最近、村上春樹を読み始めた。」と、とある友だちに言ったところ、この本を勧めてくれた。…というか、この本が好きだと、言っていた気がする。
その目線で感想を述べると、
なんでこんな悲しいお話が好きなんだろう。という印象。
ただ、今の私にドストライクの話でした。だから★5。
とても、長いお話なので、おいおい思い出しつつレビューを書き連ねていこうと思います。
こう、DVDだ、本だ、漫画だと800作品以上読んで、レビューを書いてきてみて、その時々の自分の心境と、それを取り巻く環境も含め考えたことを載せてきましたが、このくらい感想を書いてくると、本の中に、自分の考えたことと同じようなこと、似た表現が幾つも出てきます。
わたしは、こういった小説を読む場合、男性作家が好きです。女性作家も、過去読んではいたのでしょうが、女性だと、共感できる部分が大きかったり、「そのように書いた作家自身」のことを思ってしまったりして、なんか、「安心するために読んでる本」として読んでいるようで、いつしか居心地が悪くなっていったためかと思われます。まぁ、そのようにしか感じられない人を選んでいる私がそもそもダメなんですけどね。
わたしはそれで、人生の半分を「性別」で判断し、損をしているのかもしれません。でも、本を読むのならば、アホみたいに狭苦しい自分の価値観を、ぶち壊してくれるものに、出会いたいのではないかなぁと、自分の行動に対して思います。だから、「男性」の方がいいのかも、と。
ただ、この人は、村上春樹さんは、なんか違う気がする。男性作家だけれど、よく、自分の考えに似たフレーズに、出会える。
そういう作家さんだから、つまり、誰かしら、何かしら「共感」を出来るというような作家さんだから、評価されるのかもしれないし、ただ「人間的に」考え方の方向性が似ているだけなのかもしれない。
この場合、これくらいの「共感」は、気持ちがいいね。この作品。好きだな。心の奥底が、とても悲しくなってしまうけれども。
※感想を、一つだけ。
「飛ぶ矢はとどまっている。」
似たようなこと、ではないかもしれないけど、私はたまに、「数直線」について考える。
定規のほうが、単位としてわかりやすいかもしれない。
例えば、0から1cmの間には、ハサミでは切り取れないような無限に続く数が潜んでいる。
0.333333333333333333…cmも、0から1cmの間にある。
でも、そういうのとはお構いなしに、私たちは0.5cmのリボンを切り取ることが出来る。(そんな長さのもの、使い道がないっていう意見はさておき。)その不思議さ。細かさに細かさを重ねれば、我々は、0.5に続く数をいくらでも続けることが出来る。
「そのリボンの長さは、正確に言うと0.5034281943cmだね。」というように。
でも、我々はいとも簡単に、リボンを切り取り、その数値の世界を終わらせることが出来るのだ。
どんぶり勘定の世界で生きている、とも言えるし、奇跡の数値の中で生きている、とも言える(気がする)
リボンを切り取ったり、均等に重さを測ったりすることで、我々は、世界を収束させることが出来る。
0と1の間にあるおよその瞬間に閉じ込められることなく。
ただ、「誰も求めない公正さ」のなかで、終わることのない瞬間の世界の中へ身を投じることができるとしたら、
わたしはなにか、新しい展望をその中に、見据えることが出来るのかもしれないと思うと、
世界の終りに、行ってみたい気もする。