幕臣たちの明治維新 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2008年3月19日発売)
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『幕臣たちの明治維新』安藤優一郎・著(講談社現代新書)


これは…。
と思いました。
タイトルが私好みです。言わば敗者(賊軍)とされたひとからみた、明治維新なのですから。
歴史は勝者により作られます。それは各国共通。
例えば『封神演義』という小説にもなった殷周革命。殷の最後の王さまの名前は紂王。ちゃんと名前があったのにいつの間にか紂王。紂たれる王なんて、ひどすぎる。
そんな風に昔から勝者の都合のいいように書かれてきたのが歴史です。そして、日本にとっては男性に都合よく、ね。この著者で前に読んだ『大奥』の一般的イメージもそういうのって強く関係していると思うのですが。

読み進めるうちに、うん?と思いました。
以前読んだ『憑神』(浅田次郎)の時代背景とでもいいましょうか。
でも、私は『憑神』の後半は随分馴染めなかったのです。前半は神さまがとりついてのどたばたなのに後半になると歴史の王道が絡んできて(慶喜とか榎本武揚とか出てきちゃって)、いわばファンタジーと主軸の歴史が混在してしまうのがどうも駄目だったのでした。
まあ、幕末期の御家人の話だったので、仕方ないかもしれませんが。

そして、その主人公とは違う生き方を選んだのがこの本に出てくる人々です。伝統や理想、思想、誇りによって散る生き方は確かに美しいかもしれませんが、それが最近過剰に美化されているようにも思います。
どちらかといえば、私はこちらのほうが好きです。百凡であると罵られようと今をきっちり生きるために右往左往する人々。
幕府消滅という天地がひっくり返った世の中を、それでも必死に生きたひとたち。
貧困と差別、勝者によって傷つけられた誇り。
それでも生きるために、やったことのない農業をし、実力も変わらない(もしかしたら自分より劣るかもしれない)薩長人の下で黙々と生きる。
理念によって散るよりも、こちらのほうが何十倍も大変かもしれません。でも、地味すぎて全然振り返ってもらえない。
そこに光を当てるのは、なんとも嬉しいことではないですか!


文中で、静岡藩は慶喜の後継者であった家達が送られて、彼についていった藩士たちが壮絶な貧困を味わいます。今までの生活では有り得ない貧困のなか、知恵をしぼりだし、それぞれがそれぞれ、必死に生きていきます。
しかし「餓死」が点々と生まれていく。まさしく、生きるか死ぬかなんです。理想や理念に散ったら美しいでしょう。でも、その死はある意味夢の中の死です。その他大勢は現実の死を逃れなくてはなりません。
そんな危機的状況の中でも、優秀な人材を育て、茶畑を作り根付かせ、なんとかみんな生きていきます。自分史を残してくれた山本政恒氏もそのひとり。
その人々がやがて中央に出て、明治政府を支えていきます。どんなに優秀でも薩長が優先していきます。こういうのって、今もかわらないのですね、学歴優先、コネ優先。

でも、薩摩の人間と長州の人間は少しずつ感覚が違うみたい。
それが、幕臣たちが中心になって主催した、江戸ブームの火付け役『東京市誕生三百年祭』にも現れていたようです。私はこのお祭りは知らなかったので、「なんだ?それは」と思いました。東京市って明治後でしょう…と思ったら、なんと家康が江戸を作ったことをはじまりとしていたのです。だから正確には『江戸誕生三百年祭』。どれほど江戸と銘打ちたかったでしょうか。
このお祭りを舞台に小説が一本書けてしまいそうな迫力です。
幕臣であったことが足をひっぱる。けれど、幕臣であったことが、誇り。
そんな人々が、捻じ曲げられた『江戸』を思い、思い切り誇りを謳いあげようとする…有名無名に関係なく。
それは、「なんとか生き抜いてきた」という凱歌でもあるように思えました。それほど切実なお祭りだったのでしょう。


この本の中で一番印象に残ったのは、戦後のエピソードです。
薩摩の大久保利通の孫が、国会図書館に新設された憲政資料室主任に任命され、挨拶回りに行ったとき、参議院議長に「歴史を書くなら公平にやったもらいたい」と言われたのです。
当時の参議院議長は会津・松平容保の子。
もちろん、議長は私念からそう言ったわけでもないし、相手が大久保利通の孫だからそう言ったわけでもないのでしょう。
新設された資料室の室長が薩摩系でなかったとしても、そう言ったかもしれません。もちろん、わかりませんが。
けれど、明治政府が作った天皇を中心とする開かれた日本…薩長中心の日本がなくなった戦後。新たな日本のなかで、それでも、「歴史を書くなら公平に」という言葉が出るくらいそれまでがあまりにも幕府が軽視され、薩長土肥に偏ったものが流布し、『賊軍』の子孫達は傷ついていたのでしょう。

周が崩れ去っても『紂王』と呼ばれ続ける…そんなことが江戸という時代にも起こらないようにしてほしかったのでしょう。江戸を尊べ、といっているのではなく、あくまで公平にしてくれ…というのは、敗者にとってとても切実で、けれど当然な願いなのだと思います。

やはり、一部だけを学ぶのって駄目ですね。
いろいろな立場から見て学ぶのが面白い。そして、学ぶことはまだまだたくさんあります。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2008年5月27日
本棚登録日 : 2008年5月27日

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