(2016.10.16読了)
親鸞様の教えの中心と思われる「悪人正機説」について、問いただす。仏は悪人をこそお救いになるという部分だが、これを強調すると、某毒ガスを用いたテロや、某爆弾等を用いたテロ等が正当化され、「大量殺人をした人から優先して救われる」という考えに陥ってしまう。
親鸞聖人の主張は、「善悪の相対性」これに尽き、様々な質問をしても「この世に起きた現象で信者は判断している」「師匠である法然上人が判断していた」など縷々述べるし、「仏の教えに反する思想が悪だ」という一般基準は述べるが、明確な基準は見えない。
また、「悪人正機説」に回心の思想が入っていないという批判に対して、「悪人と気づいた時点で回心」と答える。
「善悪が分かれない」ことから知恵が生まれるとも説く。
質問者の質問の中に真理が隠されていると思われ、「本人の悟りは高いかもしれないが、救済の原理を単純化しすぎた」ことが原因のようだ。六角堂で修行していた時に観世音菩薩が現れたという有名なエピソードも、本当かどうかわからないという。
収録語、大川先生より、「モルヒネ教」と厳しく批判された(救済のために教えを簡略化して「痛みをとる」ことに専念した結果、本来の釈迦の教えから遠いものとなってしまった)。
ただ、大川先生によると、この世の職業倫理と信仰がぶつかる場面は多々生じるため、この教えの「続き」を作っていく必要があるとおっしゃった。
「仏の教えに反することが悪、それに従うものは善」ということは正しいと思われるが、具体的場面でどう考えればよいかはわからず、親鸞聖人がおっしゃるように、価値が相対化してしまう問題はある。もっとも、大川先生がいうように、はっきりした人権侵害などが許されないように、ある程度客観的で相当な基準は作れる、ということだ。その基準を探求することが難しいのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2016年10月17日
- 読了日 : 2016年10月16日
- 本棚登録日 : 2016年10月16日
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