読み時が来たと言おうか、読むべくして読んだ。
幸田文さんの独特の言い回しの文章が好きで、文学作品のほとんどを読んでいるのだが未読だったので。(あとがきにもあるが「心がしかむ」「遠慮っぽく」「きたなづくり」「ひよひよと生きている」などなどの表現が好きで)
これは「崩れ」という地球地質的現象を文学的に捉えているエッセイである。
昨年は日本の災害の年だったとは、年末からのスマトラ地震の大、大災害のニュースが続いているので忘れもしない。けれどもそれは珍しいことではないだろう、小さい災害が目白押しにくるのが特徴の日本。
時期も時期そんなときに読んだこのエッセイ、感動ふたつ。
日本の国は大風が吹けば崩れ、地震が来れば崩れという災害。それは地形の特徴という宿命であるというのが諦念を持つのでなく、意識して見てみようとする姿勢の発見がひとつ。
ふたつめ。阿倍川の大谷崩れを偶然見てから圧倒され、、興味を持って専門家ではないのに日本中の崩れを見て歩いて文章にしようとした72歳のエネルギーが、なぜゆえにあったのか?
現代は人間の身体の仕組みは解明された。しかし心の中身は計りがたい。その『心の中にはものの種がぎっしりと詰まっている』のであるからいつ芽吹くかわからん。それが芽を吹いたそうな。
しかも、地球の仕組みとかの専門的な勉強は老骨なので持ち時間も無し、あきらめて分相応の精出しとするという。つまり、『崩壊というこの国の背負っている宿命を語る感動を、見て、聞いて、人に伝えることを願っている。』
そして全国崩れの跡、流れ出す川、崩れる地形、火山を見て歩くことになる。新潟もしっかり入っている。崩れの多いところと言われているという…。
ただ単に描写するだけではなく、含蓄のふかい言葉、洞察の文章であることはもちろんである。
私は文学的に捉えた「崩れ」を読み、なお、災害のむごさを理解した。幸田さんの不安の予感を持った老女(幸田文)がいたというのがもう何十年も前だということ。ひょっとすると預言者ではないのかしらん。いや、文学は常に先見の明があるものなのだ。
- 感想投稿日 : 2021年9月9日
- 読了日 : 2005年1月8日
- 本棚登録日 : 2021年9月9日
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