日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

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  • 筑摩書房 (2008年11月5日発売)
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最近出版される文学本がなんだかつまらない。どうしても近代文学(明治大正昭和時代の)が好みに合ってしまうのは「さてはわたしが古い人間だからしょうがないか」とも思っていたのだが。

 この本、水村美苗著『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』を読んで少し疑問の糸口が見えた気がする。言葉とは奥が深い。

 平安のころ、文章といえば漢文だけが「書き言葉」で、『源氏物語』や日記などが「話し言葉」のやまと言葉をひらがなで書いたものだった。そんなことは習っていたのに忘れていた。

 つまり「書き言葉」は「話し言葉」と分かれていた。

 文明開化で外国語と外国の文化を取り込んだときの「言文一致」は優れていたが、戦後の国語教育ないし方針が「話し言葉=書き言葉」になって今に至っている現状は文学にとって悲惨な結果になったのではないか、というのが水村氏の説。(もう少し専門語でこの本には説明してあるが、だいたいそんなこと)

 現代文学と近代文学は、単に言葉の表現方法だけに違いがあるのではないが、このまったき「言文一致」の弊害の指摘に目からウロコの思いがした。

 それからもう一つこの本を読んでちょっと溜飲が下がった思いがあった。

 作家水村美苗さんは英語が苦手(嫌い)なのだけれども、英語がわからないのではない。12歳から20年アメリカに住んで教育も十分受けた(大学院までいってしまった)、羨ましい人だ。

 この羨ましいという日本人の大部分が感じることが、ことをややこしくしているという。英語教育を長々とやっているのに相変わらず日本人は英語が下手で損をしているという事実。

 だけど英語はいまや世界の「普遍語」になっている。事実化学や科学医学の分野ではもうそうなっている。英語で発信しないと世界に向かっては何も言わないのと同じになってしまう。

 なにも国民みなが英語のバイリンガルにならなくてよろしい(そうしない国もあるが インドとかフィリピン、でも元植民地などの深い理由がある。それもラッキーだったのか?国語のゆくえがどうなるのか?)。英語は易しくない、一部エリートが成し遂げれば十分ではないか。はい、おまかせします。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 2009年
感想投稿日 : 2021年8月4日
読了日 : 2009年7月10日
本棚登録日 : 2021年8月4日

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