少女の友の100周年記念号ということで、復刻記事と現在の記事を合わせた、分厚い、かなり立派な本であった。少女小説を、文学研究のテクストとして読めないかなあ、と、ずっと考えていた私にとって、女学生文化の中核のような、大事な部分を補う、よく整理された資料として有用であったし、レトロ乙女文化のタグを作ってしまうほど、この頃の文化・文芸を愛好する読者としても、楽しく充実した1冊である。
私に、中原淳一氏の絵や、吉屋信子女史の作品を教えたのは母であったが、彼女の口の端に上るのは、いつも『それいゆ』や『ひまわり』で、『少女の友』ではなかった。今般、この本を見てみると、どうもこの3誌を混同して覚えていたのではないか、と思えてならないのだ。
『花物語』は好きではないのに、『七本椿』や『からたちの花』『あの道この道』は好き。蕗谷虹児や中原淳一は好きなのに、藤井千秋は覚えていない、などなど。考えてみれば、年齢的にぜんぜん合わないし、話がまばらである。
結婚してから『婦人之友』を愛読していたようなひとである。家にこれらの雑誌が…もっともっと上の世代の残したアンティークのものとして混在していて、「女の子の本だから」と、娘になった頃の母に与えられていたのではないか。物を捨てない質の祖母だったら、ありそうな話である。家の蔵にしまってあって、どうやらたくさん揃っていた。その後散逸した…というのだから。
ひまわりやそれいゆを、手芸のお稽古帳にして、母は洋裁や和裁を祖母に教わったという。その思い出が懐かしくて、インタビューを試みても、作品や掲載誌のあれこれ、雑誌についての記憶がちゃんと合わない。
懐かしさ、というベールを被った、古い記憶の聞き書きよりも、きちんとまとめられたこの本のおかげで、随分いろんな知識が整理できたのは、たいへん大きな収穫であった。思えば母も、古本の『少女の友』『ひまわり』『それいゆ』を読み耽って、少女から若い時期を過ごし、今よりもっと若い婚期で妻になって、『婦人之友』を読んでいたというのだから、大変クラシカルで、贅沢な読書体験をしていたものだと思う。
娘の私はといえば、令和の御代になって、今更に『乙女の港』や『わすれなぐさ』が好きである。時代に関係なく、これらの雑誌たちの力は、なんとすごいものか。今、こんな雑誌はあるかなぁ、と考えると…。かつての『Olive』とか『MOE』あたりであろうか…。でもちょっと違うし…。それにしても、友の読者の方々の、なんと高雅な言葉遣いであることか…。雑誌は今なくっても、見習いたいものである。
- 感想投稿日 : 2020年9月8日
- 読了日 : 2020年9月8日
- 本棚登録日 : 2020年8月1日
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