砂をつかんで立ち上がれ (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社 (2003年9月19日発売)
3.40
  • (12)
  • (34)
  • (85)
  • (4)
  • (0)
本棚登録 : 374
感想 : 37

震災の置き土産   
ずらりと並んだ美装本の背表紙を眺めてにたりと笑う趣味は俺にはない
オレは本という[物]がほしいんじゃなくて、中身が読みたいんだ


らもさん以外にも似たようなことを
仰る方がいらっしゃたしそれを聞いてきた。

ただ自分の中であんまりよくはないこと」
だというのがわかっていながら
抗いながら認めないように
体全体で拒否しようとしていた

本をたくさん読まなきゃ、読んだほうがいい
そういって本棚を飾っていったのは事実である

ただこれから質の読書に変えていきます」とすれば
量が必要になったときに、自分で閉めた帯のせいで
過度に締め付けすぎてしまうようになりかねない

量を経験すること、質も経験すること
体験すること、質と量を生きること


量をたくさんつんで得たものは非常に大きい

挙げればきりが無いし、銘銘によって相異が激しいはずであるが、一番感じているのは、
己の視野の狭さを教えられてそれが死ぬまで続くということを認めるのが大切だって気づいた。


学問という分類で見ても、NDCという分類で見ても、
歴史(時間)的分類、地理的分類で見ても
おそらく可能なのは概略と幾らかの深みにはいることができるだけあり、
全知などというのは夢でしかない。
にもかかわらず、全てを知った気でいては
ソクラテスや真矢先生に怒られてしまいそうだ。

謙虚という言葉にすれば、少しニュアンスが違いそう
なんという言葉を与えればいいか今は考えがつかない。

読書という行為は一般(大衆)的にはいいことという空気がある。自分もその思いで読書を始めた。現代の読書への入り口はおそらくそのようなものだと思う。
きっかけというものがないと、
やっぱり人はそう感嘆には始めない、
始めようという動機が生まれてこない。
入っていく世界が本当に奥まで入っていいかなんて
行った人しか生きれない、虎刈りですな。

ただ、
門をくぐって敷地内に入って一番最初に目に付いたものを見に行く分はいいが、自分がどの枠内のどの位置にいるのかを見落とした言動は慎むよう心がけないと天狗にとどまってしまう。

そうはいっても天狗になることは避けられないのかもしれない。深みに入っていかなければ中途半端に留まるだけ、超えてみることのできる世界は閉ざされたままで終わってしまう。天狗になることを目標にやっていく上で
伸びに伸びた鼻を何度も折っていく。そうやって鼻はだんだん伸びにくくなってくれるかもしれないし、また自分がそのような状態に陥っているという状態の変化に無意識に目がつくように慣(成)れるかもしれない

本を主として物理的媒介物として見続けていると
たくさんの本があるというだけで満足してしまう私
家の中から本を追い出しても、この心情のままでは
図書館に行っても二の足を踏むであろう。

目的をなくして今の状態では
また手段がそれに取って代わり、盲人に
再び陥ってしまう。

主題のある読書をしよう。
質も量も必要でしょう。
調査からはじめるか、inspirationを待つか
ただ、本という世界はなかば現実と切り離された世界であるがために、現実の把握をおろそかにしないよう

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年1月19日
読了日 : 2014年12月23日
本棚登録日 : 2014年12月23日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする