困った。困った。読みながら困った。
ボルネオ、熊野、チベットと矮人族を追って消えた民族学者三上隆をめぐる冒険譚。
その合間に和歌山ヒ素カレー事件が紛れ込み、
登場人物も現実と虚構が行き交う。
テーマは「なつかしさ」。
そしてタイトルは、「闇の奥」。
和歌山ヒ素カレー事件が紛れ込むあたりで、なんでこれが必要なのか?
と疑問に思いつつも物語と現実の境が曖昧になるへんな感じに困った。
そしてゾクッとくる瞬間! うーん、やられた。
最後は、いきなり三人称になってのチベットへの冒険譚が始まるが、
ここだけどうも異質。普通に読めるんだけど、何か拍子抜け。
物語で語られるチベットへのCIAの介入(コードネーム:セイント・サーカス!)だが、
チベットのカムバ族の訓練を担当したのが、ラオスでモン族を率いて北ベトナムと戦ったトニー・ポー。
トニー・ポーは、「闇の奥」を原案とした映画「地獄の黙示録」のカーツ大佐のモデルになったとも言われた人物。
これは偶然か作者の計算の上か?
ただねー、「イタリアの秋の水仙」がなぜ春歌かについてが、どうも消化不良。
次の文は、最近でもっともシビレた文章。
むかし、われわれに時間の観念はなかった。あるとき、怖れにとらえられた。これが未来の観念となる。それより一瞬遅れて、なつかしさにとらえられた。これが過去の観念になった。このふたつの概念に引き裂かれた瞬間、それが現在となった。
いやー、上手い作家だ。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
奇想
- 感想投稿日 : 2013年10月8日
- 読了日 : 2013年10月7日
- 本棚登録日 : 2013年10月7日
みんなの感想をみる