フランダースの犬 (岩波少年文庫)

  • 岩波書店 (2003年11月14日発売)
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ラララ ラララ ズインゲン ズインゲン
グレイーヌ ヴリンダース
ラララ ズインゲン ヴリンダース

『あらしの前』のクリスマスシーンがすばらしかったので、次の岩波少年文庫はクリスマスシーズンにふさわしい物語にしようと思ったら、これになりました。我ながらひねたセレクトです。

ちなみに私は主題歌をずっと「ラララ ジングルベル〜」だと思っていましたが、今回、調べてみたら全然違う歌詞でした。「Zingen Zingen Kleine Vlinders」は「歌え 小さな 蝶々」という意味だそうです。

作詞は童話作家の岸田衿子(『ジオジオのかんむり』!)、作曲は『巨人の星』、『キャンディキャンディ』など数々のアニメソングを手がけている渡辺岳夫。

さらに併読した『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』によると、この部分を歌っているのはアントワープで急きょ結成された子ども合唱団。ドキュメンタリー映画制作陣がラジオで呼びかけて探し出すまで、彼らは自分たちの歌声が日本でヒットしたことを知らなかったそうです。

日本では1975年放映のアニメの印象が強すぎて(そしてそれが傑作だったために)原作をちゃんと読んだことがないという人も多いのでは。

私もアニメはリアルタイムで見てるはずなんですが、さすがにあまり覚えていない。アニメのイメージをベースにした子ども向け絵本がうちにあり、その印象が強いです。

その絵本の中でネロが風車の絵を描いていると、大人がほめてくれる場面があるんですが、子ども心にそうかこういう絵を描けば大人はほめてくれるのかと思い、実物を見たこともない風車の絵を描いていた時期がありました。我ながらひねた子どもです。

あらためて読んでみると、これが本当にひどい話(笑)。原作は岩波少年文庫で100ページという短さ。よくこんな暗い話を一年間のアニメにしようとしたもんだ。

著者のウィーダはイギリスの作家で、3週間ほど旅行したときのイメージをもとにフランダースを描いています。30匹の犬を飼うほど犬好きだった彼女にとって、犬を使役するフランダース人は野蛮で粗野な田舎者なので、その描写には手加減がない。

ネロは根拠なく有名な画家になって貧乏から抜け出すことを夢みてますが、たった一度のコンクールに選ばれなかっただけで挫折します。

原作ではネロは15歳、アロワは12歳。アロワはスペインの血をひく黒い眼をしていると書かれています。アロワの父がふたりの仲を裂こうとするのは、たんにネロが貧乏だからというだけじゃないのです。

放火の疑いをかけられて村で孤立していくネロ。それでも、大金の入った財布を届けたのだから、クリスマスに帰る家もなく、食べるものもない窮状を訴えて助けを求めてもよかったのでは。なぜ彼らは死ななければいけなかったのか。そこには作者の社会批判とともに、ご都合主義的なセンチメンタリズムを感じます。
(そこをキリスト教的受難とか日本的自己犠牲とかまで高めてしまった日本のアニメの最終回の功罪があります。)

そういったいくつかの作品上の欠点からご当地ベルギーでは『フランダースの犬』はまったく読まれておらず、ルーベンスの絵を見ながら涙する日本人観光客によりやっとその存在を知り(オランダ語訳の出版は1985年)、ネロとパトラッシュの像が建てられ、アントワープ大聖堂の前に記念碑が置かれている、というところまでは聞いたことがあります。(『トリビアの泉』でもネタになってましたね。)

そのほかの話は『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』に続きます。

以下、引用。

パトラッシュは、何世紀にもわたってフランダースで代々ひどい目にあってきた一族の出身でした。人間にこきつかわれる奴隷、貧しい人たちの犬、かじ棒と引き具につながれた動物でした。荷車があたってできるすり傷に、筋肉を痛めつけられながら生き、心臓をこわしてかたい道で死んでいく生き物でした。

フランダースはすばらしい土地とはいえず、なかでもアントワープのまわりは、おもしろみのないところでした。特徴のない平野に、麦や菜種の畑、牧場が単調にくりかえされるばかりです。

ルーベンスの墓であるこの町は、ルーベンスを通じて、ただその人のおかげで、わたしたちにとって生きつづけているのでした。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 岩波少年文庫
感想投稿日 : 2019年11月25日
読了日 : 2019年11月25日
本棚登録日 : 2019年11月25日

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