邂逅の森 (文春文庫 く 29-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2006年12月6日発売)
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感想 : 275
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読み終えてしばし、言葉も出ない。


時代は大正、秋田の山奥で狩猟をするマタギの若者の物語。

まず何より、秋田だったり山形だったりの方言や、土地の言葉、マタギの言葉が出てくるが、その含みがとてもいい。登場人物や相手によって方言と標準語を使い分けたり、町の方の商人や田舎でも教養のあるお嬢様は標準語を話していたりとか、近代化がまだ兆しとしてしか入り込んでいない世界で、都市と奥地、近代と前近代のそれぞれの人のあり方が、話し言葉の差異によってうまく対比されている。

物語の中の世界は、私達の生きている世界に比べてだいぶ生々しい。クマを狩るという命のやり取りもそうだし、雪国の自然の厳しさ、当時の社会の貧困や、夜這いや身売りといった性にまつわる物事など、おそらくとても丹念な下調べの上に描かれた風俗だけでも十分ひとつのエンターテインメントである。けれど、そういう楽しみはちょっと覗けば満足する井戸みたいなもので、もうそろそろいいかな、となりかけたところでこの物語のもう少し奥にあるテーマがあらわれてきた。そこからはもう引き込まれて一気読み。

マタギにとって狩りの対象であると同時に神性の一部でもあるクマが、常に傍らで、人間という生き物の秤のように存在していた。人間は知能の優越を誇っているが、少し引いてみればクマの食欲と性欲と変わらない、自己保存と種族保存の本能を満たすことに汲々としているだけの存在だ。狡猾で、時に度を越している分、むしろそれ以下かもしれない。ふと読んでいて仏教の「無明」という言葉が頭に浮かぶ。このワイルドな世界の住人たちは、現代の私達よりも素朴な分、よりハッキリとした獣性をみせている。そんな世界の中だからこそ、物語の後半で主要な登場人物たちがみせる獣性を越えた行動原理には、心を揺さぶられた。これをなんと呼べば良いのだろうか。陳腐だけれども、「善」の一字が浮かんだ。人として生まれたからには、99%は獣と同じ、無明にまみれて生きざるを得ないとしても、最後の1%では善に辿り着いて死にたい。それだけが人生の争点ではないだろうか。そんなことを熱っぽく考える。

そんなハイテンションで最終章に臨みながら、読み終われば冒頭の一行である。これ以上は書くのも野暮なので、あとは読んでいただきたい。テーマの重厚さと、1頁1頁を読み進めさせるエンターテインメントが両立してるので、安心してオススメできる一冊。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年3月4日
読了日 : 2020年3月4日
本棚登録日 : 2019年9月6日

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