下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社 (2016年4月13日発売)
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平田オリザ(1962年~)氏は、劇作家、演出家、劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場支配人、芸術文化観光専門職大学学長、東京藝大アートイノベーションセンター特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、大阪大学コミュニケーションデザインセンター客員教授等。読売演劇大賞優秀作品賞(2002年)、モンブラン国際文化賞(2006年)、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエ(2011年)等を受賞・叙勲。高校2年の時に、自転車で世界一周旅行を行い、世界26ヶ国を放浪した。(高校は中退し、大学入学資格検定試験を経て、国際基督教大学卒) また、2009~11年に民主党政権(鳩山内閣・菅内閣)で内閣官房参与を務めた。
私は新書を含むノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手するようにしているが、今般、過去に評判になった新書で未読のものを、新・古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊である。(本書は2016年出版、2017年新書大賞4位)
本書の内容は、一つ一つに難しさはないものの、タイトルや著者の(最も)言いたいこととの関連が少々わかりにくい(論理に飛躍がある)のだが、私なりにラフに整理をすると以下である。
◆「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。」(司馬遼太郎の『坂の上の雲』の冒頭の真似である。同書では「衰退期」が「開化期」) この現実に向き合い、我々は、①日本はもはや工業立国ではないこと、②日本はもはや成長社会ではないこと、③日本はもはや、アジア唯一の先進国ではないこと、を受け入れて、長い坂をゆっくりと下る方法を見出さなくてはならない。
◆そのために、我々は、地方創生や教育改革等に取り組まなければならないが、小豆島、兵庫県豊岡、香川県善通寺、東日本大震災からの復興途上の女川・双葉などでは、(分かり合うことを前提にした)「会話」型のコミュニケーションから、(分かり合えないことを前提にした)「対話」型のコミュニケーションに転換するような「空間・場」を作るという文化政策を進め、成功している。(著者はそれらの取り組みに参加しており、内容が具体的に説明されている)
◆文化政策に加えて、最も大事なことは、「競争と排除の論理」から抜け出し、「寛容と包摂の社会」を作ることであり、それが本当に求められるコミュニケーション・デザイン、コミュニティ・デザインである。そして、そのためにコミュニケーション教育が必要なのである。
◆(以下、本書の結びの文章)「子規が見た、あるいは秋山兄弟の見た坂の上の雲は、あくまで澄み切った抜けるような青空にぽかりと白く浮かんでいたことだろう。しかし、そろそろと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮れの寂しさに歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。」
私は、途中から、なぜ日韓・日中関係や安倍政権のことにまで話が広がるのかと疑問に思いつつ読み進めたのだが、読了後、著者が民主党政権のブレーン的な役職に就いていたことを知り、合点がいった。
私は、以前より、世界を覆う、行き過ぎた資本主義に問題意識を持っているので、「競争と排除の論理」から「寛容と包摂の社会」へという、著者の基本的な考え方に共感するし、文化政策が大事という主張にも賛同する。ただ、そのことと、工業立国でも、成長社会でも、アジア唯一の先進国でもなくなった日本は、今後「下り坂を下りていく」しかないのだという認識・例えは、少々異なる気がする。(五木寛之のように、人生の後半を「下り坂」と例えるのはわかるが、著者は『坂の上の雲』を意識し過ぎているのではないだろうか。)
そうではなくて、我々日本は、限界を迎えつつある世界システムの中で、衰退する国家ではなく、成熟した国家・持続可能な国家として、世界やアジアの国々のモデルとなるような国を目指すと考えるべきなのではないかと思う。
また、既述の通り、全体の構成・論理展開が、一般読者には腹に落ちにくい点も少々残念である。
(2022年7月了)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年7月14日
読了日 : 2022年7月14日
本棚登録日 : 2022年7月10日

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