戦後から2000年台までの東映京都撮影所の栄枯盛衰を関係者のインタビューをまじえて描く出すノンフィクション。amazon解説の「疾風怒濤にノンフィクション」という説明が正にピッタリで、戦後から時代劇量産による繁栄時期の熱量も、映画が当たらなくなった時の迷走と打開も、生き生きと描かれ、その熱量に圧倒される。
著者の春日太一さんは、まず最初に「寒い話」はやめにしたいと宣言し、結びも野心を持った若手の出現を示唆し、東映京都に関心を持ってもらい、応援するための本であるとしている。それは、やはりこの本に登場する人たちと、そこで作られた映画に惚れ込んだからだろうし、それが春日さんの熱さと結びついて、グイグイと紙面に引っ張り込んでいく。
例えば戦後から時代劇あたるまでの期間の描写で、給料の分割、賞与の遅れなど、かなり深刻な事態でも、やらなければで進んでいく姿がある。実際にはいろいろ不満はあったろうが、人と人のつながりから、力になっていく描写を主にすることで、その時代の熱さも伝わってくる。
やはりすごいのは、役者から殺陣師、脚本家、プロデューサーなどの、技術や人身把握、調整力といった強さだ。東映京都のスターシステムの時代劇が、黒澤映画や座頭市シリーズなどに負けていき、東映京都で身集団時代劇にシフトしていく。その中で語られる近衛重四郎の殺陣は、正に見てみたいと思わせる描写となっている。この辺の記述力はすごい。
スターシステムの時代劇全盛の頃の異常な制作期間や不満が溜まった時の各プロデューサーのガス抜きの方法など現在に照らしあわせると問題なものも多いが、如何にして製作を間に合わせるか必死な様子が伝わりおもしろい。任侠映画や実録映画時期のその筋との調整など、なかなか表で見えない部分の話も興味深い。ここでもやはり人間関係ができるかというのがある。
時代劇、任侠映画、実録映画と方向性が変わっていく様と、それに合わせて出てくる人、去っていく人の様子が描かれるところは、歴史ものを読んでいるようである。扱うネタが変わることで、メインで調整を貼る人や役者も変わっていくことで、会社との関係も変わり、辞めていくのもある。その辺が一冊に中で、見えてくるのが興味深い。
一つの撮影所の歴史というだけでなく、日本映画の流れの一部も表している本書は、歴史としてのおもしろさもあり、登場する人たちの映画にかけた激しい生き方を描いたおもしろさもある。それらが、著者の熱い筆致を得て、生き生きと描かれたことで無類の作品になったと思う。
- 感想投稿日 : 2019年11月17日
- 読了日 : 2019年11月17日
- 本棚登録日 : 2018年10月11日
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