幻世(まぼろよ)の祈り―家族狩り〈第1部〉 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2004年1月28日発売)
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本棚登録 : 2013
感想 : 190
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天童荒太氏の長編小説『家族狩り』の第一部。
もともと、1995年に同名の小説が発刊されているものの、登場人物や取り扱う事件はそのままに、新たに書き直し、独立した物語として綴った物語。

何人か登場人物がいるが、主な登場人物は、児童相談センターの職員である氷崎游子。刑事の馬見原光毅。美術教師の巣藤浚介。何か特別な能力があるわけでもなく、社会の一員として、自分のやるべきことを全うしている、普通の社会人。見た目は。しかし、各々、振り払おうとしても振り払いきれない闇が心の中で、または底で鬱積し、火をつければ今にも爆発しそうなところを必死になって堪えている、そんな様子が窺える。第一部では、氷崎游子に関する個人的な情報は皆無に等しいが、あまりにも非の打ちどころが無い、与える隙も見いだせない言動は、やはりどこかで彼女の暗い生い立ちを推測せずにはいられない。


読了した後に襲いかかる遣る瀬無さは、まだ第一部であるにも関わらず、量・質ともに計り知れない。これは、2006年にゴールデン・グローブ賞を受賞した『バベル』の鑑賞後にも似た遣る瀬無さに似ている。
言葉は日本語。別に喋ることに関する生涯を負っているわけでもない。それでも、心が、通じ合わない。いや、むしろ通じ合いたいという気持ちと通じ合いたくないという気持ちが交差して、マーブル状に絡まって、感情の吐き出す筋が見いだせていない状態になっている。
言葉で言い表せないから、行動でそれを表現する。それが、人を幸せにする、いい方向へと向かわせるものだけではない。全てがそうとは限らない。もしくは人によって、大きく解釈を異とすることだってあり得る。結果、不穏の念だけが募り、不穏が不穏を呼び、大きな不穏となって、事件を引き起こす。

相対的な数量で言えば、日本国内の犯罪件数は、減少傾向になっているのだという。事件の捜査を行う上での技術や、情報の伝達経路が著しく進化すると、これまで見逃しがちであった事件が顕在化し、見た目にも犯罪件数が増えているように見えがちになるにもかかわらず、である。
しかしそれは、公に発表された数量の範疇内の解釈であり、事件の本質や闇に隠された部分は、きっと、当事者でないとわからない。単純に事件として取り扱われていないだけ、体面を気にして被害届を出していないだけで、もしかしたら、これまで以上の事件が発生しているのかもしれない。
果たして私たちは、そういった事実・現実に、一体どれだけ目を向けているのだろうか。
たとえ本書の根幹が、1995年の世相を反映させたものだとしても、引き起こされる事件の内側・裏側は、きっと今と大きな違いはないはずだ。どんなに技術が進歩をしても、情報網が広くなっていても。コミュニケーションを促す技術が発達しても、やはりどこかでそのツールの便利さに身を隠して、本当の自分を晒さずにいるような気がしてならない。それは、私自身を含めて、である。
最も身近なコミュニティである『家族』。そのあり方と、自分との接し方、それを一度深く見つめなおす機会を与えられた作品であるように思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: book
感想投稿日 : 2011年9月6日
読了日 : 2011年9月6日
本棚登録日 : 2011年9月4日

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