モダンタイムス(下) (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2011年10月14日発売)
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注! ネタバレ設定にしてませんけど、もしかしたら内容に触れているかもしれません(^^ゞ



上巻もそうだけど、下巻も、とにかく登場人物たちの減らず口が楽しい!w

今ってさ。お決まりのギャグはあっても、こういう風に減らず口叩く人って少ないんだよね。
「あー言えば上祐」(←古っ!w)じゃないけど、思わず、「あー、うるせぇ」って笑っちゃうw、こういう口の減らないバカが普通にいたら、世の中もっと楽しいだろうになぁー。
今はさ。猫も杓子も、「今は生き辛い」って思いやってばかりだから、かえって世の中がギスギスしているんだって、いい加減気づこうよ(^^)/


さて。上巻に引き続き下巻も、登場人物たちはなかなか示唆に富んだことを言う。
“今の世の中に独裁者なんていない。『その人が消滅したら、物事が解決する』と言い切れるような、そういった個人はどこにもいないんだ”
“どの悪人も、結局はなにかの一部でしかないんだって”
それはそうだろう。
人というのは、所詮は何か(システム)を構成する一部でしかないからこそ、人類は持続出来ているわけだもん。
前に『あひる』という小説を読んだ時、解説者が“人が代替可能”なことに嫌悪感を示していたけど、代わりがいるからこそ、人類は続いているわけだw
ていうか、後半で、ヒトラーみたいなのはちょっと特別みたく書いてあったけど。
自分は、ヒトラーだって、所詮は時代のシステムの一部で。ヒトラーがいなかったとしても、その代わりはいくらでもいたんだと思う。
というか、あの時、ドイツに住む誰もの中にヒトラーになれる要素があったからこそ、人々はヒトラーを支持したんじゃない?

ただ。
個人的には、戦争は為政者が起こすものではなく、一般大衆の無責任さが起こすもので。
為政者は一般大衆の無責任さがつくる、時代というシステムの一部にすぎないと思うのだが。
でも、今年のロシアが始めたウクライナとの戦争を見ていると、例外もあるんだなーと驚いた。
あの戦争に関しては、おそらく『その人が消滅したら、物事が解決する(少なくとも戦争は終わる)』可能性が高い。
そう考えると、この『モダンタイムス』という小説に書いてあることは、今では過去を踏まえたことになってしまっていて。
今という時代は、もはや作家の創造性や想像力を超えてしまった…、ということなのかもしれない。
というか、人の想像なんて、たかが知れたもので。現実というものは、常に人の想像の先を行っているということなのだろう。

もっとも、後半、永嶋丈がこんなことを言っている。
“動物というのは絶えず進化の可能性を探している。突然変異の試行錯誤を繰り返している。国家や組織も一緒だ。見えない触手を無数に伸ばして、『変化のきっかけ』や『生き残る確率が増す道』を探している”
“たとえばヒトラー、たとえばスターリン、たとえばムッソリーニ、ルーズベルト。彼らは何らかの目的を、思惑を抱えていて、そのぶつかり合いやすれ違いが、世界大戦を継続させ、終結させた”
それに対して、大石倉之介が“戦争のせいで、科学や工業が破壊されることもありすよ”と言うと。
“それでいいんだ。破壊されれば、また、動き出す。動物や国家にとって、一番、回避すべきことは停滞だ。変化がなく、動きのない状態は、死に近い”
もちろん、“変化がなく、動きのない状態は、死に近い”というそれで戦争を肯定してしまうのば暴論だ。
でも、それは、今の日本の状況を上手く言い表しているし。
また、今の日本人の総論へのアンチテーゼになっているように思う。

“何かを捕らえるためには穴に入らなくちゃならない。怖いから穴に入らないでいよう、なんて言ってもな。いずれ、穴から、成長した虎が飛び出してきて、自分を食っちまうんだよ。恐怖が今来るか、明日来るか、その差でしかない”
”昔は良かった、とかよく言うけど、昔も良くはねえんだよ。いつだって、現代ってのは良くなくて、だから、俺たちは自分の生きている時と向き合わなきゃいけねえんだ”
なんかは、著者という人が、意外と硬派で、しかも堅実な考えの持ち主なんだと感心させられた。
そう、だからさ。猫も杓子も言ってる、「今は生き辛い」っていうあれ、もういい加減やめよーよ(^^ゞ
著者が言うように、生き辛いのはいつの時代も同じで。生き辛くない時代なんてないんだからさw

同じようなことは、永嶋丈も言っている。
“個人にとって重要なのは、真実を知ることではない。満足することだ”と(^^ゞ
ただ、“個人にとって重要なのは満足すること”で、“人間は小さな目的のために生きている”んだとしたら、「人は社会というシステムの一部にすぎない」を受け入れる(悟る?)ということになる。
それは、最後の章になるちょっと前、“君は俺にそんな特別な力があるって”と言う主人公に対して、例の妻である佳代子が言う。
“それはそういうんじゃなくって、普通に特別な力だって。たとえばさ、妻を幸せにする、とかいう力よ”に直結する(爆)

いや。それでいいんだろう。
たぶん。
ていうか、そういう「普通に特別な人の営み」が続くからこそ、国家(というか時代?)も変化や進化を求めて、生き残る道を探すことが出来るんだろう。


すごく面白かった、この小説だが、イマイチ評価の人も多いのは、やっぱり、上記のように著者が主張しすぎているように感じるっていうのがあるんだろう。
確かに、思い返してみるとこの小説って、ストーリーの中で登場人物が語っているというより、登場人物が語りたいことをストーリーでつなげた…、みたいなところがある(^^ゞ
ただ、自分はストーリーは間違いなく面白いんだけど、それ以上に著者の主張が面白かった、というのがある(^^ゞ
ていうか、ここに出てくる著者の主張の中には、今の日本で普通に支持されている考え方に大きく反するのもあるから、拒否感をもった人も多いのかもしれない。
ただ、今の日本の常識的な考え方こそが、今の日本の停滞(というか沈下?w)の根本なのかもしれないわけだ。
「押してもだめなら引いてみな」じゃないけど、試しに今の日本の正論にケツまくってみるのもアリなのかも(爆)


最後に。
①“人間は放っておけば、自分のために生きるようになっている。(中略)個人の欲求を維持することに必死になる。それではうまくいかなくなる”
②だから、“国家は時に、暴力的な、もしくは無慈悲なシナリオを起動させて、国民に自分の存在を示す”
③そして、“システムは定期的に、人間の個人的な営みを、国家のために捧げるように、調整を行うんだ  
もしかしたら。
2022年7月に起きたことは②の段階なのかな?と、最近なんだか薄ら寒い(・_・;)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年8月22日
読了日 : -
本棚登録日 : 2022年8月22日

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