「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」 一九七二 (文春文庫 つ 14-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2006年4月7日発売)
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感想 : 23

この本の内容であれば、おそらく書き手の年齢や嗜好に応じて「一九七一」であろうが「一九八九」であろうがいくらでも書くことが出来る。本書の標題がなぜ「一九七二」である必然があるのか、その最も肝心な部分が全く書ききれていない点で、年代記の意義を失ってしまっている。特にロックを扱った部分ではいたるところ「一九七一」や「一九七三」のオンパレードで、著者自身、書きながらこのタイトルを後悔していたのではないかと推察される有様だ。
タイトルへのクレームは置いたとしても、様々な事象から事象へとひらりひらりとアクロバチックに筆をすすめているようでいて、その「飛び移り」の不自然さ、牽強付会が鼻につく。一言で言って力量が無いのだろう。ではせめて生煮え評論とはこんなものだという開き直りくらいは欲しかった。
読んでいて悲しくなったのは、最後の章のところで記者や編集者という人種の「組織人としての不自由さ」を批判する尻から著者自身が売文業の不自由さを余すところ無く体現する部分だ。
「週間読売」という保守系媒体で、1972年当時北朝鮮のチュチェ思想を礼賛する特集が組まれていたという驚嘆すべきトピックをいともアッサリと紹介したあとで、実に当たり前のことで驚くにあたらない岩波「世界」の「北」礼賛ぶりを念入りに嫌味たっぷり攻撃する著者は、「諸君」という保守論壇誌の色に配慮するあまり、年代記としての面白さをかなぐり捨ててしまったといわざるを得ない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年12月22日
読了日 : 2007年8月16日
本棚登録日 : 2013年12月22日

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