風車祭

著者 :
  • 文藝春秋 (1997年11月1日発売)
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本棚登録 : 132
感想 : 24
5

二度目の正直で中身を開きました。<br>
この人の文章は読みやすいので、本の厚さの割りに読み始めるとあっという間でした。<br>
前に読んだ「夏化粧」はオンラインか何かの連載だったそうで、そのときそのときでこっちに飛び、あっちに飛び、という感じが非常に不安定で読みにくい感じがしたのですが。カジマヤーは一本調子で貫かれていて、非常に読みやすい話だった。<br>
私は物語というのは一本の大きな川で、作者はその川で川くだりをする船の船頭さん、読者というのは船頭の操る船に乗る人々、だと思っています。<br>
船頭は川を下る楽しさの全てを乗っている人に伝えなくてはならない。<br>
静けさも急流も、間間にある奇岩、景勝地、全てのポイントを下流に着くまでに回らなくてはならない。船はスピードがなくっちゃつまらない。けれどもスピードが速すぎると景勝地を全て回るために船を操るのが難しくなってしまう。<br>
そのバランスをとりつつ、面白い景勝地を上手く回っているのが「風車祭」だと思う。<br>
「夏化粧」はね、操ろうとしてはスピードが落ちすぎて、スピードを上げてしまうと景勝地が全然回れなくって、みたいなところがあったかな、と。<br>
この話は、読んでみて「白き魔女/Falcom/PCゲーム」だな、と思った。<br>
物語の持つ基本構造、いいたいテーマなんかが同じなのだと思う。
「白き魔女」の持つ基本構造がやはり、RPGの元祖「指輪物語」からきているのだとすれば、物語の種類、というのは実のところとても数が限られたものなのかもしれない、とも思う。<br>
でも。<br>
じゃあ、「カジマヤー」と「白き魔女」が似ているのかというとほとんど似ていない。<br>
「カジマヤー」に流れる極彩色の奔流は「白き魔女」にはないし、逆に「白き魔女」がもつ月の光のような繊細な物悲しさは「カジマヤー」にはない。<br>
同じ物語の軸を使っていたとしても、まったく同じ物語というのはありえないんだなあ……としみじみと思いました。<br>
最後の方は感動を一気に感じたくて夜更かしして読んじゃったけど、つらつらとこの色彩の川流れる世界に身を浸してみると、世界が色鮮やかに見えてくるような気がします。<br>
モノクロームの世界に飽きてしまったら一読をお薦めします。<br>
(20040426)

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: 池上永一
感想投稿日 : 2005年12月14日
本棚登録日 : 2005年12月14日

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