ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

  • 日経BP社 (1995年9月26日発売)
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ビジョナリー・カンパニーとはなんだろうか。ビジョンを持っている企業、未来志向の企業、先見的な企業であり、業界で卓越した企業、同業他社の間で広く尊敬を集め、大きなインパクトを世界に与え続けてきた企業である。

・業界で卓越した企業である。  
・見識のある経営者や企業幹部の間で、広く尊敬されている。  
・わたしたちが暮らす社会に、消えることのない足跡を残している。  
・最高経営責任者( CEO)が世代交代している。  
・当初の主力商品(またはサービス)のライフ
・サイクルを超えて繁栄している。  
・一九五〇年以前に設立されている(*)。

ビジョナリー・カンパニーには、ずば抜けた回復力がある。
つまり、逆境から立ち直る力がある。  

決定的な点は、理念の内容ではなく、理念をいかに深く「信じて」いるか、そして、会社の一挙一動に、いかに一貫して理念が実践され、息づき、現れているか

ビジョナリー・カンパニーは、基本理念を信仰に近いほどの情熱を持って維持しており、基本理念は変えることがあるとしても、まれである。
ビジョナリー・カンパニーの基本的価値観は揺るぎなく、時代の流れや流行に左右されることはない。基本的価値観が百年をはるかに超えて変わっていないケースすらある。

ビジョナリー・カンパニーは、その基本理念と高い要求にぴったりと「合う」者にとってだけ、すばらしい職場である。ビジョナリー・カンパニーで働くと、うまく適応して活躍するか(それ以上にないほど、幸せになるだろう)

あとから見れば、じつに先見の明がある計画によるものに違いないと思えても、「大量のものを試し、うまくいったものを残す」方針の結果であることが多い。

ビジョナリー・カンパニーの延べ千七百年の歴史のなかで、社外から CEOを迎えた例はわずか四回、それも二社だけだった。
ビジョナリー・カンパニーは、自らに勝つことを第一に考えている。

「ORの抑圧」とは、手に入れられるのは Aか Bのどちらかで、両方を手に入れることはできないという、いってみれば理性的な考え方である。

ビジョナリー・カンパニーは、安定か前進か、集団としての文化か個人の自主性か、生え抜きの経営陣か根本的な変化か、保守的なやり方か社運を賭けた大胆な目標か、利益の追求か価値観と目的の尊重か、といった二者択一を拒否する。そして、「 ANDの才能」を大切にする。これは逆説的な考え方で、 Aと Bの両方を同時に追求できるとする考え方である。

会社の成功とは、あるアイデアの成功だと考える起業家や経営幹部が多いが、こう考えていると、そのアイデアが失敗した場合、会社まであきらめる可能性が高くなる。そのアイデアが運よく成功した場合、そのアイデアにほれこんでしまい、会社が別の方向に進むべき時期がきても、そのアイデアに固執しすぎる可能性が高くなる。しかし、究極の作品は会社であり、あるアイデアを実現することでも、市場の機会をとらえることでもないと見ているのなら、善し悪しは別にして、ひとつのアイデアにこだわることなく、長く続くすばらしい組織をつくりあげることを目指して、ねばり抜くことができる。

時を告げるために使う時間を減らし、時計をつくるために使う時間を増やすべきである。  

ウェルチは生え抜きであり、 G Eの製品である。そのウェルチが G Eを変えた。

ビジョナリー・カンパニーの草創期の重要な経営者は、指導者としてのスタイルに関係なく、比較対象企業の経営者より組織志向が強かった。事実、調査が進むにつれて、「指導者」という言葉がしだいにしっくりしなくなり、「建築家」や「時計をつくる人」という言葉を使うようになった(二つ目の重要な違いは、つくる時計の種類だが、これについてはのちに触れる)。以下に示す対照的な組み合わせを見れば、建築家のような方法、つまり、時計をつくる方法という言葉の意味がさらにはっきりするだろう。

「ORの抑圧」とは、逆説的な考えは簡単に受け入れず、一見矛盾する力や考え方は同時に追求できないとする理性的な見方である。
「 ORの抑圧」に屈していると、ものごとは Aか Bのどちらかでなければならず、 Aと Bの両方というわけにはいかないと考える。

「ORの抑圧」に屈することなく、「 ANDの才能」によって、自由にものごとを考える。「 ANDの才能」とは、さまざまな側面の両極にあるものを同時に追求する能力である。 Aか Bのどちらかを選ぶのではなく、 Aと Bの両方を手に入れる方法を見つけ出すのだ。

「バランス」とは、中間点をとり、五十対五十にし、半々にすることだ。
ビジョナリー・カンパニーは、たとえば、短期と長期のバランスをとろうとはしない。
短期的に大きな成果をあげ、かつ、長期的にも大きな成果をあげようとする。
ビジョナリー・カンパニーは、理想主義と収益性のバランスをとろうとしているわけではない。
高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追求する。
ビジョナリー・カンパニーは、揺るぎない基本理念を守る方針と、力強い変化と前進を促す方針のバランスをとろうとしているわけではない。
その両方を徹底させる。

カネ儲けというのは、会社が存在していることの結果としては重要であるが、われわれはもっと深く考えて、われわれが存在している真の理由を見つけ出さなければならない」。
ビジョナリー・カンパニーは、これと同様に問いかけて、目的をつかんでいる。  
目的は、まったく独自のものである必要はない。ふたつの企業が、似通った目的を持っていても不思議ではない。これは基本的価値観として、二つの会社が誠実さを揺るぎない信念として掲げていても不思議ではないのと同じだ。目的の最大の役割は、指針となり、活力を与えることであって、ほかの企業との違いを明らかにすることである必要はない。

マリオットは、 A& Wルートビアー・スタンドから、食品チェーンへ、機内食サービスへ、ホテルへと発展し、二十一世紀も未知の世界に向かっていくだろうが、「自宅から離れている人たちが、友人に囲まれ、心から歓迎されていると感じられるようにする」基本的な任務を捨て去ることは、絶対にない。

ソニーは、炊飯器や粗雑な電気座布団から、テープレコーダー、トランジスター・ラジオ、トリニトロン・カラーテレビ、家庭用ビデオ、ウォークマン、ロボット・システムへと発展し、二十一世紀も未知の世界に向かっていくだろうが、「〔日本の〕文化向上のために」技術革新を応用する真の喜びを感じる基本的な目的の追求が終わることは、絶対にない。

ビジョナリー・カンパニーには、胸がおどるような新しい事業分野へと発展しながら、基本的な目的を指針として守る能力があり、その能力を発揮しているのだ。

サム・ウォルトンはこう指摘している。「一度成功したからといって、それを続けていてはいけない。周囲の状況は常に変化しているからだ。成功するためには、その変化の一歩先をいく必要がある」。

時間の経過とともに、文化の規範は変わる。戦略は変わる。製品ラインは変わる。目標は変わる。能力は変わる。業務方針は変わる。組織構造は変わる。報酬体系は変わる。あらゆるものが変わらなければならない。その中でただひとつ、変えてはならないものがある。それが基本理念である。少なくともビジョナリー・カンパニーになりたいのであれば、基本理念だけは変えてはならない。

概念とは、「基本理念を維持しながら、進歩を促す」であり、これこそが、ビジョナリー・カンパニーの真髄である。

進歩を求める内部の力があるからだ。ビジョナリー・カンパニーは、進歩し、向上し、新たな可能性を切り開こうとするとき、外部の理由を必要としない。

ビジョナリー・カンパニーは基本理念を持ち、進歩への意欲を持っている。しかし、ただそれだけではなく、基本理念を維持し、進歩を促す具体的な仕組みも整えている。

ボーイングはその典型とも言えるが、ビジョナリー・カンパニーは進歩を促す強力な仕組みとして、ときとして大胆な目標を掲げる。このような目標を、わたしたちは社運を賭けた大胆な目標( Big Hairy Audacious Goals)の頭文字をとって、 BHAGと呼ぶことにした。これは、進歩を促す唯一の方法ではないし、ビジョナリー・カンパニーのすべてがよく使っているわけでもない

第一に、これは軽視すべきでない点だが、女性向けに販売していたがほとんど知られていなかったマルボロが、位置付けを一般向けの商品に変え、カウボーイをあしらったデザインで大成功を収めるようになる。そして第二に、フィリップ・モリスには目標になる相手がいた。

しかし、皮肉なもので、自動車を大衆の手に届けるという大胆な目標を達成したとき、フォードは新たな BHAGを設定せず、自己満足に陥って、 GMがフォードを追い抜くというやはり大胆な目標を掲げてそれを達成するのを、なすすべなく見守るようになった。この点から、 BHAGが組織にとって有益なのは、それが達成されていない間だけであることを強調しておくべきだろう。

BHAGと呼べるのは、その目標を達成する決意がきわめて固い場合だけである。

基本理念の章でも見てきたように、企業がきわめて未来志向の動きをとるのは、収益性を最大限に高めること以外の点に事業の究極的な目標があると見ているときなのである。

最大の違いは、……任務を定め、適切なターゲットを設定していることにある。技術者に完全な自由を与えている企業が多いが、当社ではそうしていない。目的を決め、具体的ではっきりしたターゲットを決め、それを達成するために必要なチームをつくる。井深会長は、ターゲットを決めて研究をはじめたら、絶対にあきらめるなと教えている。この教えが、ソニーの研究開発陣全体に浸透している。

・ BHAGはきわめて明確で説得力があり、説明する必要もないほどでなければならない。 BHAGは目標であり(たとえば、登るべき山や、宇宙旅行の目的地としての月のようなもので)、「声明」ではないことを忘れてはならない。それで組織内に活力がみなぎらないのであれば、それは B H A Gではない。  
・ BHAGは気楽に達成できるようなものであってはならない。 IBM 360や、ボーイング 747のように、組織内の人々が、なんとか達成できるだろうが、それには英雄的な努力とある程度の幸運が必要だと思えるものでなければならない。  
・ BHAGはきわめて大胆で、それ自体が興奮を呼び起こすものでなければならず、シティ・バンクやウォルマートの例にみられるように、達成する前に組織の指導者が去ったとしても、進歩を促し続けるものでなければならない。  
・ BHAGには、それを達成したのち、「目標達成症候群」にかかって組織の動きが止まり、停滞する危険がつきまとっている。フォードが一九二〇年代に陥ったこの問題を避けるには、次の BHAGを準備しておくべきだ。また、 BHAG以外にも、進歩を促す方法を持っておくべきである。  
・最後に、もっとも重要な点として、 BHAGは会社の基本理念に沿ったものでなければならない。

 経営者としてとりわけ重要と考える責任のひとつは、有能な経営陣が継続するようにすることである。われわれは常に、いつでも後を継げる有能な候補者を用意し、とくに優秀な候補者のために移行研修制度を設け、〔後継計画について〕きわめてオープンにすることで、成功を収めてきた。……経営陣の継続性はきわめて重要だとわれわれは考えている。

ジョーンズは第一の段階として、「 CEO引き継ぎの道筋」という文書をつくった。一九七四年、つまり、ウェルチが CEOになる七年前のことである。同社の経営人材委員会の全面的な支援を受けて、ジョーンズは二年間をかけて、当初、生え抜きばかり九十六人にのぼった候補者を十二人に絞り込み、次に、ウェルチらの六人まで絞り込んだ。この六人をテストし、見きわめるために、全員を「事業部門責任者」にし、経営委員会の直属にした。それから三年間、ジョーンズは徐々に的を絞っていき、候補者に厳しい課題を与え、面接し、エッセー・コンテストを行い、評価していった。この過程のひとつに、「飛行機事故問題」があり、ジョーンズが候補者のひとりひとりに同じ質問をした。「きみとわたしが社用機に乗っていて、墜落したとしよう。ふたりとも死亡したら、だれをゼネラル・エレクトリックの会長にすればいいのか」(ジョーンズはこの方法を、前任者のフレッド・ボーチから学んでいる)。このように息切れしそうな耐久レースで厳しい道のりを走り抜き、後継者の座を獲得したのがウェルチであった。最後まで残った候補者も、 GTE、ラバーメード、アポロ・コンピューター、 RCAなどの社長や CEOになっている。ついでながら、アメリカ企業の経営者のなかには、どの企業の出身者よりも G E出身者が多い。

 ビジョナリー・カンパニーは比較対象企業よりはるかに、社内の人材を育成し、昇進させ、経営者としての資質を持った人材を注意深く選択している。後継者の育成を、基本理念を維持する努力の柱にしている。

デプリーは会社の性格を守り、それを次の世代に伝えていくうえで、決定的な役割を果たした。デプリーは、プロクター&ギャンブルが株式会社になった一八九〇年からでは、わずか三代目の CEOであり、前任者の二人を知っていて、二人から学んできた。そして、自分のあとに CEOになった四人を知っていて、四人を教える役割を担った。わたしもその一人であり、株式会社になってからほぼ百年で、わずか七人目の CEOになった。

モトローラはこの「執行室」制度を経営トップだけでなく、中間管理職のレベルにまで広げ、通常、二人か三人のチームで管理にあたる体制をとって、会社全体で経営幹部を育成し、経営の継続性を保証する仕組みの中心にしている。

ディズニーの事例から、重要な教訓を学べる。経営者を外部から招かなければならなくなった場合には、基本理念にぴったり合った候補者を探すべきなのだ。そういう人物なら、経営のスタイルは違っていても、基本的な価値観を心から信じているだろう。

ビジョナリー・カンパニーでは、もっとも大切なことは、「どこまでうまくいっているのか」でも、「どうすればもっとうまくやれるのか」でも、「競争に対応するために、どこまでやらなければならないのか」でもない。もっとも大切な問いは、「明日にはどうすれば、今日よりうまくやれるのか」である。ビジョナリー・カンパニーでは、このように問いかける仕組みをつくっており、毎日の習慣にして考え、行動している。これら企業がすばらしい行動をとり、実績をあげているのは、最終目標を達成しているからというより、常に改善を進め、将来のために投資する終わりのない過程の結果、自然に成果が生まれてくるからなのである。

ビジョナリー・カンパニーが飛び抜けた地位を獲得しているのは、将来を見通す力が優れているからでも、成功のための特別な「秘密」があるからでもなく、主に、自分自身に対する要求がきわめて高いという単純な事実のためなのである。

世の中でいちばん大切なものは、自己を律することである。自己を律することがなければ、人格は形成されない。人格が形成されなければ、進歩はない。……逆境は成長への機会になる。そして、なんのために働くのかで、成果は変わってくる。問題があり、それを克服できれば、人格が養われ、成功をもたらす質を獲得できる。

ここまで読んで、ビジョナリー・カンパニーというのは、安心のできる職場ではないという印象を持ったのではないだろうか。まさにその通り、安心できる職場ではないのだ。    
安心感は、ビジョナリー・カンパニーにとっての目標ではない。それどころか、ビジョナリー・カンパニーは不安感をつくり出し(言い換えれば、自己満足に陥らないようにし)、それによって外部の世界に強いられる前に変化し、改善するよう促す強力な仕組みを設けている。

比較対象企業ではどうだろうか。今回の調査では、ビジョナリー・カンパニーと同じ程度に不安感を生み出す仕組みをつくっていることを示す証拠は見つからなかった。設立以来、一貫して、厳しく自己を律している企業はなかった。逆に、比較対象企業のうちいくつかは、意識的に楽な道を選び、ときとして、長期的な将来を犠牲にして、短期的な利益を追求している。

ビジョナリー・カンパニーで「長期」というのは、五年や十年を意味しているわけではない。何十年かを意味しており、五十年を意味していることが多い。しかし同時に、長期的な視野を口実に、短期的な利益の追求の手を緩めたりはしない。

ビジョナリー・カンパニーは比較対象企業に比べて、売上高に対する設備投資の比率が一貫して高いことがわかった(十五組(*)のうち十三組でこう言える)。
また、配当性向が低く、毎年の利益のうち、会社に留保する部分の比率が高い(十五組(*)のうち十二組でそうであり、一組は差がなかった)。

J・ウィラード・マリオット・ジュニアは、かなり質素な暮らしぶりであり、本人の言葉を借りれば「モルモン教の勤労観」に導かれて、週に七十時間働き、自社の施設を年に二百カ所訪問し、ほかの経営幹部にも同じように各地を飛び回るよう求めていた。  
もっと重要な点は、常に進歩を求める経営者の意向が活かされるように、会社組織のなかに具体的な仕組みをつくっていったことだ。この時期のマリオットにみられる進歩を促す仕組みのうち、ハワード・ジョンソンにはなかったものをあげていこう。

ビジョナリー・カンパニーの真髄は、基本理念と進歩への意欲を、組織のすみずみにまで浸透させていることにある。目標、戦略、方針、過程、企業文化、経営陣の行動、オフィス・レイアウト、給与体系、会計システム、職務計画など、企業の動きのすべてに浸透させていることにある。

「一貫性」というのは、基本理念と目標とする進歩のために、会社の動きのすべての部分が協力し合っていることを意味する(基本理念と進歩をビジョンと言い換えてもいい。
ビジョンとは、長期にわたって維持される基本理念と、将来の理想に向けた進歩の二つの組み合わせだとわたしたちは考えている)。一貫性がとくに保たれている以下の三社の例を考えてみよう。

全体像を描く  
フォード、メルク、 HPが細かな手段を積み重ねてきたことを読んで、圧倒される思いがしたのではないだろうか。まさにそうで、この点こそが重要な指針になる。    
ビジョナリー・カンパニーは基本理念を維持し、進歩を促すために、ひとつの制度、ひとつの戦略、ひとつの戦術、ひとつの仕組み、ひとつの文化規範、ひとつの象徴的な動き、 CEOの一回の発言に頼ったりはしない。
重要なのは、これらすべてを繰り返すことである。  

重要なのは、驚くほど広範囲に、驚くほどの一貫性を、長期にわたって保っていくことである。ビジョナリー・カンパニーになるには、圧倒的とも言えそうな数のシグナルと行動によって、常に基本理念を強化し、進歩を促していくことが必要である。

二  小さなことにこだわる  
従業員は日々の仕事で、「大きな全体像」に取り組んでいるわけではない。会社とその事業のなかの、ごくごく小さな細部に取り組んでいるのだ。
大きな全体像が役に立たないと言うのではない。そうではなく、従業員に強い印象を与え、力強いシグナルを送るのは、ごく小さなことであり、この点を確認しておくべきなのだ。

ビジョナリー・カンパニーはいくつもの仕組みや過程をばらばらにつくっているわけではない。それぞれが互いを強化し合い、全体として強力な連続パンチになるように、仕組みや過程を集中している。いくつもの要素が相乗効果を持ち、連携し合うようにしている。

四  流行に逆らっても、自分自身の流れに従う  
メルクと HPが経営の常識に逆らって、自らの立場を守り抜いたことを考えてみるべきだ。
一貫性というのは何よりもまず、自分自身の方向感覚に従うことを意味し、外部の世界の標準や慣行、慣習、力、トレンド、気まぐれ、流行、はやり言葉に押し流されないことを意味する。

正しい問いの立て方は、「これはよい方法なのか」ではなく、「この方法は当社に合っているのか、当社の基本理念と理想に合っているのか」である。

五  矛盾をなくす  
たったいま、自分の会社を見わたしてみると、基本理念との一貫性がとれていなかったり、進歩を妨げているものが少なくとも十以上は見つかるはずだ。
こうした「不適切な」ものが、どこからともなく入り込んでいるのである。
報奨制度は基本的価値観と矛盾する行動に報いるものになっていないだろうか。組織構造は進歩を妨げるものになっていないだろうか。目標と戦略は基本的な目的と矛盾したものになっていないだろうか。会社の方針は変化と改善を禁ずるものになっていないだろうか。オフィスやビルのレイアウトは、進歩を妨げるものになっていないだろうか。

ビジョナリー・カンパニーになるためには、
基本理念がなくてはならない。
また、進歩への意欲を常に維持しなければならない。
そして、もうひとつ、基本理念を維持し、進歩を促すように、すべての要素に一貫性がとれた組織でなければならない。
以上の三点は、どのビジョナリー・カンパニーにも言える一般的な原則である。


一  時を告げる予言者になるな。時計をつくる設計者になれ。  
二  「 ANDの才能」を重視しよう。  
三  基本理念を維持し、進歩を促す。  
四  一貫性を追求しよう。


最後に、たぶんもっとも重要な点として、
社会のなかで重要な役割を担う伝統ある機関としての会社に、
常に心からの敬意を払って自分の仕事に取り組むことになるだろう。
会社は、政府組織や伝統ある大学と変わらぬほど、
大切にし、関心を向けるべきものなのだ。
この世界で、とくに優れた仕事のうちかなりの部分は、組織に力によって、
共通の理念のために多数の人たちが協力する集団の力によって、
成し遂げられているのだから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2020年4月27日
読了日 : 2019年9月21日
本棚登録日 : 2019年9月21日

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