新書726牢人たちの戦国時代 (平凡社新書 726)

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  • 平凡社 (2014年3月14日発売)
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4

 長宗我部盛親の楽天的な性格は割と嫌いじゃない。それだけに不遇な末路は涙を誘う。

 戦国時代において武士は階級でもあるが、大名以外はどこかに「仕官」する勤め人でもあった。様々な理由で解雇されることもあるし、主家そのものが消えてなくなる場合もある。そうなれば彼らはたちまち牢人=浪人である。次なる士官先を求めて諸国を放浪し(あるいは京に居座って大名家へ「就職活動」を行い)、ひとたびことがあれば一攫千金、知行地獲得、主家再興を目指して有象無象がやってくる。
 「真田丸」のクライマックスでもあったが、大阪の陣の際、豊臣方には多くの牢人が終結した。全国の大名の多くは徳川傘下にあり、今更そちらについてもうまみがない、そもそも採用してもらえない、ならば一か八か豊臣につこう、少なくとも一時金は手に入る。
 有名どころである真田信繁、後藤又兵衛、明石全登等々の著名人についてはある程度わかっていることもあるが、多くの牢人はろくに名前を残すこともなく歴史の闇に消えている。それだけに「新たな発見」があるジャンルでもあるらしい。

 なかなか興味深いテーマであるがその中でも一番興味を覚えたのは先述の通り長宗我部盛親である。父元親、長兄信親に先立たれて迎えた関が原で西軍につき、敗色濃厚と見るや遁走し、戦後は土佐一国を召し上げられ牢人に身を落とす。「一国一城の主」から転落し、それでも再興を目論見てわずかなつてを頼るも、盛親との接触が露見して徳川から睨まれるのを恐れたか、のらりくらりとかわされてしまう。
 それでも「諦めない」というよりは「どうにかなるだろう」的な楽観視は盛親の特徴なのかあるいはこの時代人の傾向なのか。そうこうしているうちに大阪の陣が勃発し、大阪城に駆けつけた盛親には5000人余の軍勢を率いていたという。落ちぶれたといえ、一声かけてこれだけの軍勢が集まるというのだから、腐っても元大名である。


 無名の牢人たちは記録がほとんどなく、詳細はあまりわかっていないという。再仕官を諦め帰農した者も少なくないだろうし、帰農したにも関わらず関が原や大阪の陣で昔取った杵柄とばかりにはせ参じた者もいるだろう。彼らなりに全力で日々を生きていたのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 論考
感想投稿日 : 2017年4月21日
読了日 : 2017年4月21日
本棚登録日 : 2017年4月21日

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