明るい不登校: 創造性は「学校」外でひらく (NHK出版新書 593)

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  • NHK出版 (2019年8月10日発売)
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●要するにこういう本
不登校のためのフリースクールで超有名な「東京シューレ」。その創業者である奥地圭子さんが書かれた本。不登校児に関することがしっかりと理解できる。これまでの活動や、不登校児に対する理解、不登校にまつわる歴史やニュース、東京シューレでしていること、不登校に関するQ&Aなど。

●なぜ読んだのか
不登校のことを気まぐれで調べてきたが、不登校向けのサービスを考え始めたため、ちゃんと網羅性をもってして知ろうと思った。東京シューレは名前は知っていて「通える場所にない」と諦めていたが、その業界をリードしている方の知見は知っておきたい。

●気になったところとその理由
・東京シューレを作ろうとしたとき、大人は「自分が当然と捉えて育ってきた常識や価値観を問い直さなくてはいけない」と書かれていた。著者自身も、新採用するスタッフも、違和感が亡くなるのに2年ほどかかっているという。私は幸いにも、先輩の不登校児ママにたくさん話が聞けたので、早めに価値観の入れ替えができたと思う。(そういえば、先輩の不登校児ママも2年かかったと言っていた。)だからなのか、既存の価値観の人たちと話すと相手とのずれを煩わしく感じてしまう。「自分が正しい」と思ってしまって失敗する、ということを重ねてきたので、当事者にならない限り、価値観は入れ替わらないし、それには2年くらいはかかると肝に銘じるべきだろう。

・東京シューレは中学校を作った。しかもN中のように「(正式な)中学校に籍を置いて二重籍にしなくてはならない」というものでなく、正式な中学校だ。そこでは、子どもの声を第一に学校を作ってきたという。「学校の変革はずっと叫ばれ、取り組まれてきていますが、こうすべき、ああすべき、と大人目線で上から、決めても上手くいかない、と思ってきました」と書いている。私が思うに、大人が大人の頭で「これがいいんじゃないか」と思うことはたいてい的が外れている。子どものためを思って、子どもの体験を経ていないものは、なかなかうまくいかないのだ。私は絵本にもそれを感じていた。「子どもにこれを知ってほしい」と大人主体で考えたものはそれが透けて見えるし、子どもは好きにならない。「子どもに楽しんでもらいたい」と考えられて作ったものは、なぜか子どもはそれを大好きになる。教訓めいた絵本は、子どもが好きにならないから好きではない。「そういう素晴らしい考えを子どもに教えられたら」という大人の意見を聞くたびに「はあ」と思う。子どもはそんなこと聞きたいわけないじゃないか。(と偉そうに言っても、私が子どもの気持ちをすべてわかっているわけでもないのだけど)

・著者がいつも話すという「靴」の話。靴は足のためにある。靴が足に合わなかったら、「悪い足だね。なぜこの靴を履かないの」とは叱らないはず。足に合った靴を探す。同じように、学校は子供のためにある。学校が子どもに合わなかったら、学校に合わせるのではなく、合う学校を探したほう(つくったほう)がいいという。ちょうど次男が隣にいたのでこの部分を読み聞かせたら「すごい」とひとこと言っていた。彼はやはり「学校に行っていない」ということで、少しは引け目を感じているのだと思う。それが「あなたに合わないだけで、あなたは悪くない」と、靴になぞらえて言ってもらったということなのかもしれない。学校が合わない子どもを認めて私が何も叱らないことで、学校の先生にイライラされていると感じていたので、私もこの部分はとても嬉しかった。たとえばわが子は説明をじっと聞いているのは苦手だ。自分が思ったことを言いたい。ただ聞いていると飽きてしまうのだ。ただ、YouTubeはじっと聞いているから、面白ければいいのだと思う。学校の先生としては、そんなことでは社会に出ていけないと思うだろう。ただ本当に、そんなことでは大人になれないのだろうか? ただの大人の先入観なのではないか? 興味のない話をじっと聞かなくていい仕事はいくらでもあるし、私はもはや仕事でそのような場面はほぼない。

・東京シューレの学校づくりは、保護者とともに進めているという。「子どもは家庭環境に安心できないと、そのこと自体が大きく悩みとしてのしかかり、安定して学んだり、友人関係を育んだりできません」と書かれていた。私は家庭でプレッシャーを与えないよう、とにかく楽しく過ごせるように気を付けてきた。わが子は何かを「やらせよう」としてもやらない子どもだし、プレッシャーを与えても余計に避けてしまう性質があるから、私は身をもってそれを学んできたと思う。これまでやってきたことが間違いではなかったと、そう思える記述が多い。

・大人は子供に対して「学校へ行かなくてはいけないとわかっていない」と思いがちだが、ほとんどの子供は「学校は嫌でもつらくてもいかなくてはならない」と思っているという。私は本当にそれはよく感じる。子どもの行動は、理解を表しているのではない。欲求を表しているのだ。勉強だって、「本当はやったほうがいい」なんてとっくにわかっている。でもやりたくないし、やれないのだ。大人が「英語の勉強をしたほうがいい」と思いながらずっと取り掛かれないのと同じだ。

・ゲームに対することも書かれていた。不登校になって死んだようになっていた子どもが、ゲームを始めたら初めて楽しいと思えて、生きている実感がわいたのだそう。つまり、ゲームに救われているという状況があるのだという。わが子もよくゲームをやっていて、それによって充実感を得ている。そこに子どもたちの世界があって、彼らの戦略性や創造性を発揮している。もはや、そこで人とつながったり、自分の長所を発見したりできる。もちろん機会があればゲーム以外で楽しんだほうがいいとは思うが、親が働きながらそれに付き合ってあげるのはなかなか難しい実情がある。

・不登校の歴史がたくさん書かれている。病気だとされて、施設のようなところに入れられ、虐待のような強制的な厳しい指導を受け、亡くなってしまった事件がいくつか紹介されていた。また、不登校は最近増えてきたのだと思っていたが(実際数的には増えているのだろうが)、昔から同じように学校へ行けない子どもはいて、今よりもっと苦しんでいたのだ。2017年から施行された学習指導要領に「不登校は問題行動ではない」と記された現代で、子どもたちや親はまだよかったのだろうと思う。2017年はちょうどわが子が不登校を始めた前年だから、学校の先生が理解していないのは仕方がないのかもしれない。すべての先生が読まなくてはいけないものだけど、読んだとしても腑に落ちて理解できる方は少数だろうと思う。これまでとあまりに違うからだ。

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感想投稿日 : 2021年9月24日
本棚登録日 : 2021年9月24日

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