経営戦略を問いなおす (ちくま新書 619)

著者 :
  • 筑摩書房 (2006年9月5日発売)
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感想 : 95
5

昨今は、とかく「戦略」という言葉が用いられがちです。でも、改
めて戦略とは何かを問われると、きちんと答えられる人は多くない。
にもかかわらず、少なくともビジネスの場面においては、戦略のこ
とを語れないといけないような空気がある。そこに落とし穴がある
のではないか、という問いかけから本書は始まります。

確かに、改めて戦略とは何かと聞かれると、答えに窮しますよね。
戦略という言葉は、その意味をよくわかりもせずにしたり顔で使わ
れてしまう言葉の典型でしょう。だから、改めて戦略とは何かが問
い直される必要があるのです。

戦略的という言葉は、ロジカルとか、合理的とか、とかくこちらか
ら何かを仕掛けていくようなイメージの強い言葉です。しかし、本
書では、そのような戦略観は否定されます。戦略は、「次々と飛び
込んでくる情報への処し方」で決まるものであって、従って、それ
は、言葉にできるものでも、つくるものでもなく、「頂に座する人
に宿るもの」だからです。

そして、人に宿るものだからこそ、観(K)と経験(K)と度胸(D)
が戦略の要になる、というのが本書の基本的な主張です。これは、
世の中の経営戦略論の多くが、KKDからの脱却を説いているのとは、
極めては対照的です。ただし、ここで言うカンは、「勘」ではなく、
「観」(ものの見方)であることに留意する必要があります。

著者の言う「観」とは、直接的には事業観のことですが、この事業
観をつくるものとして、その人の世界観と歴史観と人間観という三
つの観を挙げています。そして、これら三つの観は、広義の教育に
よるもの、いわば「教養の土台」ですから、スキルとして教えられ
るものではありません。自らつかむしかないのです。そういう意味
では、その人の生き方そのものが観をつくる、とも言えるでしょう。

そう考えると、経営戦略とは、経営者の生き様から導かれるもの、
いや、生き様そのもの、と言ってもいいのかもしれません。だから
こそ面白くて、奥深くて、難しいのです。

経営戦略とは何かについて目から鱗が落ちる思いをしながら読み進
んでいるうちに、気づくと自らの生き様について考えさせられてい
る、そんな好著です。是非、読んでみてください。

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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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それなりに頭の良い人が、推論の過程を途中で間違えることは滅多
にありません。間違えるとしたら、推論の前提となる仮定の方です。

優れた企業は成長を「目的」としません。目を見張るような成長を
遂げていても、それはあくまで「結果」に過ぎないのです。「目的」
は、実質のあるところにあり、それが大きな価値を生み出すから自
然に顧客が集まってくる、その結果として成長が実現する、そんな
因果になっています。

売上は、伸ばすより選ぶことが肝心なのです。また、そういう節操
を保つことが、経営の奥義と知るべきでしょう。

戦略の真髄は、見えないコンテクストの変化、すなわち「機」を読
みとる心眼にあると言ってよいかと思います。もちろん、心眼は人
に固有のものであり、そこに戦略の属人性が根ざしているわけです。
主観に基づく特殊解、それが本当の戦略です。

企業の命運を分ける戦略は、まさにここにあります。そう「立地替
え」です。荒廃の進んだ旧天地を捨て、新天地に打って出る。これ
をいかに実現するかという話です。「立地替え」は掛値なしの難業
であり、時間もかかります。であるがゆえに、戦略の核心となるの
です。

日本の企業においては、事業部長職が事業部制に潜む矛盾の吹きだ
まりのようになっています。うまくいってもいかなくても腰掛けの
ポジションで、求められるのは事業計画の達成だけ。そうなれば、
事業の将来像を語る人間はバカという話しになってしまいます。遠
い未来のための戦略よりも、今日の飯の種。そんな風潮が生まれる
のは、火を見るより明らかでしょう。
これが戦略不全の深淵です。

日本企業は、ここ数年、「事業の選択と集中」を精力的に進めてき
ましたが、本当に必要なのは経営層における「人材の選択と集中」
なのだと思います。

戦略とは「本質的に不確定」な未来に立ち向かうための方策です。

事業を取り囲む今という時代をどう読むのか、それさえ定まれば、
為すべきことは自ずと決まります。(中略)その意味で、戦略の本
質は「為す」ではなく、「読む」にあります。経営者が持つ時代認
識こそ、戦略の根源を成すのです。

戦略が人に宿るとすれば、戦略そのものを選ぶことはできません。
そのかわり、人を選ぶことで戦略を間接的に選ぶという図式が成立
します。

経営は何をもってするものなのでしょうか。答は事業観です。

見えない未来に向かって、時代の趨勢を読み、世界の動向を捉え、
技術と市場の進化を予見し、大きな投資判断をするとなると、求め
られるのは専門知識の深さではありません。実務能力の確かさでも
ありません。視野の広さこそ、モノを言うのです。まさに歴史観や
世界観、そして人間観が問われます。

疑惑、反感、不満、この類の感情エネルギーが盛り上がってくると
きは、自立を遂げる好機だと思います。そんな好機を活かす鍵は、
少なくとも男性の場合、一人になることかもしれません。私は、ア
メリカ北東部の丘陵地帯を週末にひたすら歩きました。木漏れ日を
浴びながら、自然の営みを見つめながら、ただただ歩くのです。
(中略)
こういう時間を積み重ねると、自分は自分と、不思議なことに腹が
据わってきます。そして不安が消え去ります。自分の人生など、雄
大な時の流れの中のほんの一コマに過ぎないことがわかるせいかも
しれません。道無き道を歩いても、どこかにつながることを知るせ
いかもしれません。何とかなる、何とでもなる、そんな気がしてき
ます。組織にしがみつく発想も消え失せます。

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●[2]編集後記

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今日は出張でロンドンに来ています。ロンドンに来るのはかれこれ
7年ぶりくらいでしょうか。ずいぶんと久しぶりです。

夜に着いたので、街を味わうどころではないのですが、それでも、
日本とは明らかに違う空気を感じることができました。住んだこと
があるわけでもないのに、何故だかとても懐かしい感じがして、わ
くわくしてきます。

ヨーロッパが特に好きというわけでもないのに、何でこんなに懐か
しくもわくわくしているのか、自分でも不思議な感じがしました。

久しぶりの海外だから、というのは勿論あるのでしょうが、わくわ
くしているのは、きっと、肌の色が違う人に囲まれているからだと
思います。最近は東京もいろいろな肌の色の人が増えましたが、ヨ
ーロッパにくると明らかに多様性の質が違います。白人は勿論です
が、インド系、アフリカ系、アラブ系の人が多くいるのを見ると、
ここは異国なんだなぁという気分に否が応でもさせられます。

多様で異質な環境というのは、人をわくわくさせ、自由な気分にさ
せるものなのですね。そんな当たり前のことを忘れていました。

懐かしく感じるのは、きっと古いものが多いからです。電車も車も
駅の設備も、ハイテクでツルツルの日本に比べると、随分と無骨で
す。鉄の匂いや手の匂いがしてきそうなものばかり。おまけに、照
明はまだほとんど白熱灯ですから、光がぼわんとしていて、柔らか
い。ホテルから見える夜景は、東京に比べて圧倒的に光が少ないで
すし、黄色っぽいというのか、赤っぽいというのか、白っぽい東京
の夜景とは明らかに雰囲気が違います。

イギリスが遅れている、というのではありません。当然、日々、変
わっているのでしょうが、簡単には変わらないもの、確かな手ごた
えのようなものがここにはある。もしかしたらそれは日本が既に失
ってしまったもので、だから懐かしく感じるのかもしれません。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 経営論
感想投稿日 : 2012年1月5日
読了日 : 2010年2月15日
本棚登録日 : 2010年2月15日

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