裁かれるコロンブス (アンソロジー新世界の挑戦 1)

  • 岩波書店 (1992年5月6日発売)
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一世紀の間に大西洋を介して新旧両世界が対峙する緊張に満ちた問題空間が彼らを鍛えたのだ。

ラスカサスのコロンへのこだわりは異常であった。なぜ彼がクロニカにおいてかくも多くのページをコロンに割いたのか、コロンを通して何を読者に訴えようとしたのか、問わるべきだ。

インディオに共苦し、彼らの解放に生涯をかけた原因として、キリスト教徒に巣食う二つの無知、インディオの人間性や文化への無知と自らの加害責任への無知を問題視したが、彼はもう一つ根元的な問題に立ち入ろうとした。それは神意への無知と、それが結果する神意への裏切りという問題だ。コロン伝最大のモチーフはそこにあった。
このコロンによる神意の裏切りは、先住民の善意を裏切る行為として、法的には神の法、自然の法、人間の法の蹂躙ふみにじるとして結果するものであると、ラスカサスは看破していた。

ラスカサスにとって新世界の発見は、救霊予定者が多数住む、地球上にのこされた空間へとコロンを旅立たさた神意の実現以外のなにものでもなかった。もしコロンと航海者たちがその神意を体して事業を進めていたならば現前しているインディアスの破壊はおこりえなかったはずだとラスカサスは強調する。インディオの分割頣使も制服戦争もすべてが神意をふみにじる行為とされた。神意を洞察し、行為にはんせいし、インディオの生活と文化に敬意を払う真のキリスト教徒こそ、新世界へ赴く有資格者とされたのだ。

神の法 自然の法 人間の法をふみにじるコロン、まさしく裁かれるコロンが姿をあらわしてくる。要は裁き方であり、詳しくは本文をよむしかない。全てはコロンに始まるとラスカサスの到達した認識だ。

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感想投稿日 : 2014年7月27日
本棚登録日 : 2014年7月27日

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