近所の中規模書店で買い求めたのだが、発売直後にもかかわらず、棚差しの一冊があるだけだった。某や某々のクダラナイ小説は大量に平積みになっているというのに……。
前作にあたる『焼身』(これも素晴らしい作品だった)も、読売文学賞と芸術選奨文部科学大臣賞をダブル受賞したにもかかわらず、いまだ文庫化されていない。やっぱり売れないんだなあ。
この作品は『東京新聞』などに連載されたもので、なんとマハトマ・ガンジーの物語である。私は、子ども向けの本ではあるがガンジーについての本を書いたこともあるので、内容がいちいち興味深い。
『焼身』は、1963年のベトナム戦争当時、南ベトナム政府と米国に対する抗議の焼身自殺を遂げた僧侶の足跡を追ったものだった。
ガンジーの足跡を追う本作は、『焼身』とちょうど対になっているのだろう。自由を踏みにじる大国の暴力に対して、人は暴力を用いずしていかに闘うことが可能か――その問いの答えを、2つのモデルの中に探したものなのだろう。
『焼身』には、本作を“予告”するような一節もあった。「9・11」直後、一緒に反戦デモをした教え子の学生(当時、宮内さんは早稲田の客員教授をしていた)から、「なにか、信じるに足りるものがありますか」と問われ、主人公が答える場面だ。
《私は絶句して、おろおろしながら、マハトマ・ガンジーのことを語った。きみたちと同じように、これまで信じるに足ると思っていたものを、わたしもいま、次々に消しつづけている。だが、どうしても消せない名前がひとつだけ残っている。それが、ガンジーなんだよ。》
とはいえ、宮内さんのことだから、本作はたんなる偉人伝になどなっていない。この小説の中のガンジー(ただし、作中では「Xさん」となっている)は、一筋縄ではいかない複雑で多面的な人物として描かれている。
- 感想投稿日 : 2018年11月14日
- 読了日 : 2010年12月13日
- 本棚登録日 : 2018年11月14日
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