異形の日本人 (新潮新書 387)

著者 :
  • 新潮社 (2010年9月17日発売)
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感想 : 38
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 著者は、自らも被差別部落出身であることをカミングアウトし、全国の被差別部落を訪ね歩いたノンフィクション『日本の路地を旅する』で昨年の大宅賞を受賞した人。本書は短編ノンフィクション集である。

 内容は、見事なまでにごった煮。スポーツ・ノンフィクションもあればストリッパーのルポもあり、身障者へのセクハラ裁判を扱ったものもあり、著名落語家の評伝もあり……という具合。雑多な内容を一言でくくるため、こんなあいまいなタイトルが選ばれたわけだ。

 全6編のうち、いちばん最初に収録された「異形の系譜――禁忌のターザン姉妹」がいちばんつまらない。というより、明らかに失敗作だと思う。
 約60年前にマスコミに報じられた、年中裸でいたという「ターザン姉妹」の謎を追ったものなのだが、障害者への偏見がひどかったことを告発するのかと思いきや、そういう内容でもない。このノンフィクションを通じて著者が何を訴えたかったのか、さっぱりわからない。

 なので、これを読んだ時点で本書を投げ出そうかとも思ったのだが、ガマンして読んでみたら、あとの5編はみなよかった。いちばん不出来な一編をなぜ巻頭にもってきたのか、その意図がわからない。

 被差別部落について書くことが多い著者だが、本書で直接その問題がからんでくるのは2編のみ。一つは平田弘史の『血だるま剣法』事件を扱ったもので、もう一つは初代桂春團治の評伝だ。

 『血だるま剣法』は主人公を被差別部落出身者と設定し、その描写に不適当な部分があったために部落解放同盟に糾弾された劇画。私も、最近になって伏せ字だらけで復刻された版を読んだことがある。マンガ史上有名な筆禍事件だが、本書を読んで初めて舞台裏がわかり、興味深かった。ただ、短かすぎて読み足りない。

 上方落語の大スターであった初代桂春團治は被差別部落出身だったそうで、本書の評伝はその点に光を当てた内容。著者にとっては自家薬籠中のテーマである。これもちょっと短くて読み足りない。本一冊丸ごと使った長編評伝にしてほしかった。

 残り3編は、被差別部落とは関係のない内容。3編とも甲乙つけがたい出来だ。
 とくに、やり投げでオリンピックに2回出場した溝口和洋を描いた「溝口のやり――最後の無頼派アスリート」は傑作。やり投げという競技に微塵も興味のない私が読んでも面白いのだから、好きな人ならメチャメチャ感動すると思う。
 沢木耕太郎初期の傑作『敗れざる者たち』の一編「さらば宝石」を彷彿とさせるところもある。ただ、沢木作品のように詩的でもキザでもなく、もっと無骨で熱いスポーツ・ノンフィクションだ。

 溝口のキャラクターがすこぶる魅力的である。彼はたとえば、こんなふうに言う。

《「わしはアマチュアや」「プロはどっちかというと、細く長くやらなあかんやろ。わしは違う。あとはどうなってもいいから、一瞬でも世界の頂点いきたいだけなんや。そういう意味ではアマチュア」》

 ストリッパー「ファイヤー・ヨーコ」を主人公にした「花電車は走る」と、脊髄性筋萎縮症の女性に対する主治医によるセクハラ事件を扱った「クリオネの記」は、著者が各ヒロインに向けるまなざしのあたたかさが印象的だ。

 とくに「クリオネの記」はよい。女性身障者の性という難しい問題にも果敢に踏み込んで、“リアル『ジョゼと虎と魚たち』”という趣もある。
 ヒロイン・西本有希と著者は高校時代からの知り合いだそうで、彼女が34歳で亡くなったあとに自宅を訪ねるラストシーンは泣かせる。著者は、自分で泳ぐことがほとんどできないクリオネを彼女に重ね合わせ、次のように文章を結ぶのだ。

《これからはクリオネを見るたび、君のことを思い出すことにしよう。
 私はそれを、祈りに代えた。》

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション一般
感想投稿日 : 2018年11月14日
読了日 : 2011年1月15日
本棚登録日 : 2018年11月14日

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