こんなことを書くと嫌がられるかもしれないが私はダイエットらしいダイエットをしたことがない。だからこれまで本書の存在は知ってはいても手に取ることはなかった。
今回手に取ったのは、自分に関係なくても、多くの若い女性たちの関心ごとである『ダイエット』について書かれた本を読むことで彼女たちを知ることができるかもしれない、と思ったから。
なんだけど、蓋を開けたら(表紙をめくったら)これはフェミニズムと生き方の本でした。
著者の経歴を見れば専門は文化人類学。
とりわけ興味深かったのは第3章、第5章。
「かわいい」と日本女性の関係について紹介されている。
・「かわいい」というのは自分に危害を与えないという安心感、従順な素直さ、という条件付きの子どもっぽさである。つまり、「かわいい」とは本質的に内在するものではない。相手との関係性のあいだに現れる条件付きの状態である。
・「かわいい」は保護が必要な、無防備で無力な存在である。
・「かわいい」は大人になることを抑止すること力がある。
・大人になるということは、自立し、主体的であることである。
・女性は(殊に日本女性は)「選ばれる性」であることが思考・行動パターンを作り出している。
・ボーヴォワール『第二の性』から伸びた抜粋のまとめ:女性は男性の「他者」として常に存在しており、女性はその地位に対して何ら申し立てもせずに暮らしてきた。なぜなら、女が「他者」であることを拒否したり、男との共犯関係を拒否したりすれば、それは女にとって、上層カーストとの同盟が与えてくれる特典を全てあきらめることになるから。主君である男の家来でいれば、男は女を物質的に保護し、その存在の意味づけまで引き受けてくれるはずだ。自由はなくとも、生きることの不安や緊張からは逃れられる。
→要は、女は男の他者であるほうが自分にとっても都合がいいので他者という地位に甘んじてきた。
ではなぜこの、女性が「他者」である傾向、「選ばれる性」にとどまる傾向が日本では強いのか。
著者は『「選ばれ組」に女性がとどまることを奨励する空気が日本の中にある』(p.112)と書いているが、それはなぜなのか。
Girls powerを本来の『自立して生きる女性、従来の女性の枠組みにらとらわれず、いきいきと生きる女性の力』ではなく、『女の子はかわいくあることが一番』と解釈した広告に繋がってしまうのはなぜなのか。
この本を読んでいたとき、昼のラジオから韓国アイドルの魅力はバキバキに踊れることだけじゃなくてどこかかわいらしさが残っていること、と若い男性(彼自身もアイドル)がいてうっとなった。
かわいさを脱ぎ捨てて大人になろう。自立し、主体的に生きる人間になりたい。
- 感想投稿日 : 2021年3月20日
- 読了日 : 2021年3月20日
- 本棚登録日 : 2021年3月19日
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