文明が衰亡するとき (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社 (1981年11月1日発売)
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感想 : 30
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塩野七生のローマ人の物語と海の都の物語を読んでローマとヴェネチアの歴史には随分と魅せられたのだが、その衰亡について語った名著があると聞いて読んでみた。
詳細に語られた塩野氏と比べて、高坂氏の著作は両国の衰亡の歴史を大きく俯瞰して解説してくれているので、とても分かりやすかった。

ローマで言えば、教科書的には蛮族の侵入が直接的な原因としてまずは取り上げられる。
しかしそれ以外にも多くの社会的要因が上げられており、大衆社会化していったなかでの政治としての弱体化、つまりローマ社会の礎ともなっていた法律・弁論に基づく統制が質的に低下していったことや、経済的要因、つまり成長が止まってしまったのに対して福祉国家としての役割が増大してたために、財政が破綻に追い込まれていたことなど様々な要因が絡み合っているのだという。

そしてヴェネチアであるが、あのような小国がかくも長きに渡る間、強国として生き抜いたことは、正に歴史上の奇跡ではないかと塩野氏の著作を読んだ時に感じたものだ。
本書は塩野氏の著作後の上梓らしく、そこかしこで氏の論を引いてきている箇所がある。トルコ台頭によって避けられなかった直接対決や、喜望峰周りのルートが開拓されたことによるインド方面からの香辛料貿易独占が崩れたこと、そこから生じた経済的な苦境がヴェネチア海軍、海運業の船を作り続けるのに打撃を与えたこと、そして社会自体が通商政策で獲得した豊かな生活の中で、変わってしまった周りの環境に追従できなかったことなどを上げている。

高坂氏はこれら二国の衰亡を解いたあとに、米国の衰亡に関しても一章を割いている。
30年以上前に本書が書かれた当時、米国は戦後の高度成長期を終えて衰退への道を歩もうとしていると捉えられていた。
社会的にはベトナム戦争の傷跡を重く引きずり、国内の主要都市にはスラム街が広がり、経済的には日本の台頭で製造業が致命的な痛手を負い始め、福祉国家として疲れた政府は毎期の大統領が短い期間で政治的力を失い、米国の経営者が「企業家」から「管理者」になって活気を失っていったといった具合である。
この時期はレーガン政権が産まれたばかりであり、彼が目指す小さな政府が米国を蘇らせることができるかはまだ分からない、と章の中では疑問を呈している。

最後は通商国家としての日本の行末を、これら大国の衰亡と照らし合わせながら論じている。
日米安全保障条約に頼った国家防衛で成り立つのか、だとか通商国家は国家間の関係ではよほどうまく立ち回らないと嫌われて立ち行かなくなるなどのことである。
ヴェネチアがあれだけ永い間、通商国家として栄えたのも秀でた外交能力があったからに他ならない。
最後に、通商国家は常に新しい変化に対応する姿勢を保つ必要が有るという言葉を引いて警告を投げかけている。

こうして読み終えてみると、30年前に高坂氏が発した日本の将来への危機感は、今まさに我々が目の前にしていることとなってしまっている。
中国の東アジア進出に伴う国家間バランスの崩れに対応できない日本の防衛戦略、通商国家として成長してきたはずが輸出産業を軒並み疲弊させる国家戦略の拙さ、そして日本のような国こそが重要視しなくてはならない外交能力のレベルの低さ。

歴史の中には現代の舵取りへの重要な示唆が詰まっているというのは言わずもがなな事。本書を読んで改めてそれを実感したのだが、今の自身の立場では有効な手が打てない歯がゆさだけが残ってしまった。
政治家の皆様にも、今だからこそ是非一読してもらいたい書である。
(そう言えば、前原政調会長は高坂氏を師と仰いでいると聞いた覚えがあるのだが、、、)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史
感想投稿日 : 2012年6月17日
読了日 : 2012年6月11日
本棚登録日 : 2012年6月11日

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