<完本>初ものがたり (PHP文芸文庫)

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  • PHP研究所 (2013年7月17日発売)
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宮部みゆきの時代小説。
岡っ引きの「回向院の茂七」親分が江戸・本所深川で起きた事件を解決していく連作短編集で、いわゆる「捕物帳」です。

なお、新潮文庫に収録されている「本所深川ふしぎ草紙」はシリーズとは銘打たれていないものの、同じ「回向院の茂七」親分が登場する連作短編集です。稲荷寿司屋の親父が登場しない、茂七視点ではないという違いはあるものの、「下っ引きの文次」の存在などを見ても、微妙に設定が変わっているわけでも、「世界観が共通」といった緩い感じだったりするわけでもなく、同じ舞台の続きを書くことが意識されていると思いますので、できればそちらを先に読んだほうが楽しいと思います。ドラマ化やコミカライズもされていますが、そちらでも本作と「本所深川ふしぎ草紙」から交互に原作を持ってきたりと同一のシリーズとして扱われています。
宮部みゆきの比較的初期の作品では、「かまいたち」と「震える岩」「天狗風」、「クロスファイア」と「燔祭」など、同じように調べたり実際に読んでみたりしないと分からないシリーズがあって、読者としては困ります。

時代小説には池波正太郎の「鬼平犯科帳」とか「剣客商売」のように、食事が具体的に、そしてとても美味そうに描かれているものがありますが、本書はタイトルからして食べ物「初物」が全編でモチーフとなっています。
さらに、「稲荷寿司屋の親父」の正体と彼の目的が連作全体を通しての謎となっています。この親父が作る料理が美味そうで、食べ物「初物」モチーフのかなりの部分を占めており、さらに茂七親分は捜査が行き詰った時に親父との会話や親父の料理から着想を得ることが多く、かなりの重要人物です。

読了して何よりも「よかったぁ」と多くの人(もちろん自分も)が思うのは、まず「人情」についてでしょう。たくさん登場する江戸の市井の人たちの、そして茂七親分の見せる人情は、身の回りで見かけ、マスコミで知る最近の暗いニュースに倦んだ目にはとてもすばらしいものに見えます。読者にとってはもちろん、作者にとってもそうだったのでしょう。一時は「時代物ばかり書いていた」とインタビューで語っているのはそういう事情があったのではないかと思ってしまいます。
なかでも、茂七親分が見せる、弱い者には暖かく、自らの手や法が及ばない者には手厳しい「大岡裁き」的な落とし前のつけ方――「鰹千両」で見せる暖かいもの、「遺恨の桜」で見せる胸のすくものなど――はこの作品の大きな魅力の一つでしょう。
ミステリとしては、最初の作品「お勢殺し」でアリバイ崩しが取り上げられます。充実した警察組織もなければ時計もない時代、密室もアリバイも作りにくいでしょうから、少し驚き、以降でもこういった謎解きが出てくるのかと期待しましたが、こちらは尻すぼみ気味であまりトリックらしいトリックは出てきませんでした。

最初に出版されたのが1995年と今から20年以上前で、宮部みゆきのこの頃の作品には道具立てや、もしかしたら価値観の一部まで古びてしまっているものもある中、時代小説ならば全く気にすることなく読めるというのは発見でした。
ただ、宮部みゆきの初期の作品の欠点、「要素を盛り込みすぎ」はこの作品にも見られます。過去の出来事が「見える」能力を持つ日動様はこの捕物帳には異質すぎます。作者のSFやホラーへの傾倒は知っていますし、超能力や怪異を扱った時代物を他にたくさん描いていることも知っていますが、あえてこの作品に全く趣向の違う超能力ものを持ち込むことはないのになあ、「混ぜるな危険」なんじゃないかなあ、と残念に思いました。
さらに、どうやらこのシリーズを書き継ぐ意欲は失われてしまったようで、「<完本>のためのあとがき」を読むと、登場人物やエピソードを他のシリーズで見かけることはあるかもしれないが、初ものがたりとしての続きはもう見ることができないのかなと思います。シリーズを途中で放棄しちゃう人って、田中芳樹とか、高千穂遙とか…あああ、思い返すだけで消化不良感満点です。シリーズではなくてよいので、屋台の親父に身を窶して家族を探す元火付盗賊改方のお役人の話、ぜひ書いてください。

以下、各話に一言ずつ。
「お勢殺し」
「初物」は蕪汁。
トリックや謎解きを持ち込み難い「捕物帳」でアリバイ崩しをして見せました。連作全て謎解きをやってたらすごいぞ、と思いましたが、この1本だけでした。養生所に入っているお勢の父猪助の諦念が哀しい…と思っていたら、次の話からレギュラーになっていてびっくり。

「白魚の目」
「初物」は白魚。
今度は時々生き物を殺さないと「物狂いのようになる」サイコパスを登場させました。そういうのが嫌で時代物書いてたんじゃないの?w
犯人をあぶりだす方法が茂七親分の腕の見せ所です。あと、被害者の今際の際の一言、「ごめんしてね」がとても哀れです。
あの小さな目、自分も苦手です。踊り食いじゃなくても、シラスなんかもだめですね。「夫はゲルマン人」って漫画にも同じく目がダメな人が出てきます。

「鰹千両」
この本の白眉。アンソロジーにもたくさん収録されているようです。
「初物」は言うまでもなく「初鰹」。
茂七親分の大岡裁きが見事です。あと、落ちの「いや、一発張られた」も落語みたいで好き。
ただ、この話の元になっている風習が同じ本の中にもう一度出てくるのはつや消しです。使いまわしちゃだめだろうと思います。

「太郎柿次郎柿」
「初物」は柿、かなあ。
土地が相続できない農家の次男坊三男坊の扱いの酷さは、江戸時代どころか太平洋戦争のエピソードの中でも見かけます。奉公に出されて奉公先で成功した次男坊の元に、かつて彼に辛く当たった長男が援助を求めに来ます。地方の農家より江戸でその日暮らしの賃仕事をしている人たちの暮らし向きのほうがよい、という話は「桜ほうさら」にもありました。「髷の中にまで泥水がしみこんだような」暮らしってどんなものだったんでしょう。

「凍る月」
「初物」は…、あれ?
メインは絶対に成就しない思いを押し殺すことの不自然さ…なんだろうけど、日動様がからんできたりして話が散漫です。寒さの記述が上手で、読んでいて身を切られるよう。

「遺恨の桜」
「初物」は桜餅…かな?
茂七の事件の収め方が溜飲が下がります。こういう、法の枠の外にもかかわらず、多くの人が納得する解決策を取れるのは時代小説のよいところだと思います。一人の子供に戻った長助君がけなげ。

「糸吉の恋」
「初物」は菜の花。おひたしにするとおいしいよね。
桜の精の和香さんと対照的な菜の花の精。彼女の心の中はもちろん、彼女を想う糸吉の心の中を想像します。家族の縁の薄い彼は待ち続けてしまうような気がしてなりません。
余談ですが、「糸吉」と書かれると、どうしても「結」のネット表現に見えてしまいます。心が汚い証拠ですね。…いやいや、実は子供に恵まれなかった茂七夫婦と家族がいない糸吉が「結ばれた」って暗喩かもw

「寿の毒」
「初物」は春の七草。
どうやって被害者の食事「だけ」に毒を入れたのか、って謎解きかと期待して読み進めたら肩透かしを食らいました。残念な一本。

「鬼は外」
「初物」は…節分。
居場所の無い鬼のために席を設ける稲荷寿司屋の親父が優しい。
超人的な似顔絵能力を持つお花が登場します。ちょっとうそ臭いのですが、「捕物帳」に謎解き要素を持ち込もうと思ったらこれくらいチート能力を持ったキャラクターを登場させる必要があるのかも。
上のほうにも書いたけれど、ネタの使いまわしがあり、新キャラ登場とあわせてみると、作者はこのシリーズに関してはもうネタ切れなのかもしれませんね。
なお、この作品を「年金の不正受給」とした解説はお見事。

収録作品一覧 初出
お勢殺し 小説歴史街道 1994年02月号
白魚の目 小説歴史街道 1994年05月号
鰹千両 小説歴史街道 1994年08月号
太郎柿次郎柿 小説歴史街道 1994年11月号
凍る月 小説歴史街道 1995年02月号
遺恨の桜 小説歴史街道 1995年05月号
糸吉の恋 小説歴史街道 1996年初夏号
寿の毒 オール讀物 2002年2月号
鬼は外 オール讀物 2003年2月号

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 宮部みゆき
感想投稿日 : 2018年3月27日
読了日 : 2018年3月27日
本棚登録日 : 2016年3月24日

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