下巻。
いきなり家定さま薨去…
家茂と、その嫁をめぐる葛藤。
自分より身分の高い嫁との軋轢などなかなか大変なことがたくさん。
天璋院を見ていると、我慢とか耐え忍ぶという言葉が浮かんでくる。
京方江戸方に分かれての戦いを、大奥の総帥として纏め上げる苦悩…。
大変だったろうなあ。この作品は全編通して天璋院がかっこいい。
この作品について宮尾さんは「天璋院礼讃」と言っているけど、まさにそう。
女の悲しみとか女の強さとか、政治の駒になりつつも自分らしく生きていくすばらしさを天璋院が教えてくれるような気がします。
あ、そういえば大河では最後に忠敬とお幸に会えるシーンがありますが、それはここではないですね。現実的にも難しかったのではと思います。
だから大河は、ご都合主義的でもあるけど、「救い」として、二人に再び会えたのかな。ほんと現実的じゃないけど、でもいい「フィクション」だったかな、と。
だって史実では会えない。亡くなる前、天璋院は初めての旅行を計画しており、それがたしか薩摩だったはず。江戸城という牢から出て、(牢という言い方が正しいのか分からないけど)ようやく自分の好きなことを出来るかと思っていたところに突然、死が訪れた。かなしい。だからせめて「会えた」とすることが救いになったんじゃないかと思うんですよねー。
あと「慶喜擁立」についても大河は御台所にするために養子にして、その後斉昭をうまく操縦するために(?)慶喜擁立を唱える…みたいな流れに大河ではなってた(様な気がする)んですが、それはたぶん最近の定説に沿ってますね。斉彬が慶喜擁立を唱える以前に、天璋院は斉彬の養子になってますから、「慶喜擁立のための養子縁組」では順序が逆ですからね。原作は昭和59年とかなので今と定説が違っていたのでしょう。
- 感想投稿日 : 2011年10月13日
- 読了日 : 2011年10月13日
- 本棚登録日 : 2011年10月13日
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