愛しの陽子さん―yoshimotobanana.com 2006 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2007年11月28日発売)
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感想 : 17
4

自分を大事にするというのが、ただ優しく甘やかすことではなく
本当に必要なもの、人、関係はなんなのかを見極めて
判断することは重要だ。
それが自分にとって辛いことだとしてもだ。
大事という意図を履き違えて、楽な方に進むことを大事というような
風潮があることにも、その問題点にも同意。


森院長との対談の話で、「いい顔」になったら手術をする
というのは本当に良いエピソードだと思った。
理解できない人にはできないのかもしれないが
そういうことは本当に大事だ。
本当に本気で、これで大丈夫だと思える顔になるまでやらないこと。
患者さんにとっても当り前だし
医者という職業に対する矜持でもあると思う。


焼鳥屋のエピソードで、目を合わせて笑顔を作れる優秀な人だけが
どんどんへとへとになっていく、というのは、本当だなと思う。
そしてそれは、良くないことなのだけれど
今の世の中ではそうしたことの方が多いのだ。残念ながら。

マスコミなどで見る人たちなんてほんとうに大したことない。
すごいことを静かにやっている人がこの世にはいっぱいいる。
この言葉も、本質は同じだと感じた。

新幹線の話もそうだろう。
段階をすっとばし、子供が煩いから注意するのではなく
煩い=駄目な相手→キレていい。ストレス解消に使っていい。
明言する人はいなくても、よくある構図のような気がする。
芸能人のマネージャーだって、自分側が有名人だということが
『キレてもいい理由』を後押ししていたのだろう。
もし、キレている相手も著名人だとこの人が気がついていたら
態度が変わったのだろうか?


この巻には漫画家の羽海野チカさんが時々出てくるが
作家であるばななさんの視点から描かれているチカさんの姿が
とても面白かった。
柔らかいご飯が嫌いという話とか。
「チカさんはいつでも絵を描く人の目でものを見ていて、しかも論理的」
という表現がとてもしっくりきた。


お父さんにファンの人が会いに来て
玄関先で一時間も話し込んだ話は、複雑な気持ちになった。
勿論好きな憧れの人に会えて嬉しい気持ちはわかる。
純真なのかもしれない。
しかし、「ファンとしてではなく、人として会わなくてはいけない」。
相手を高く見過ぎることも、低く見ることもしてはいけない。
たとえば、著名人だから呼び捨てにしてみたり、逆に神格化したり
そんなことも失礼な行為の内だと思う。


変な若い人が話をして生涯学習というより、
お年寄りに今までの仕事や家事のノウハウを話して貰う方が
互いのためになるという話にも同意。
歳を取ると子供返りするとは言うが、だからと言って
お遊戯をしたり折り紙やお絵かきをしたり
本当にそいうことが必要なのか。楽しんでくれているのか。
「内心ばかにするな、冗談じゃないと思っているのでは。」
私も思ったことがある。


歪んでいることがわかっていて
わかっている人もいるのだが、世の中はどんどん歪んでいく。
その中でもなんとか立てなおして真っ直ぐ生きていくしかないのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ・旅行記
感想投稿日 : 2012年5月20日
読了日 : 2012年5月19日
本棚登録日 : 2012年5月15日

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