わたしのいもうと (新編・絵本平和のために)

著者 :
  • 偕成社 (1987年12月1日発売)
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本棚登録 : 734
感想 : 121
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 昨年、福岡県内で哀しいいじめによる自殺が起きた。福岡県内では今までに何度もマスコミを騒がせるいじめ自殺が起きている。ある地域では生徒の死を受け止めて二度といじめを起こさない教育に取り組む努力をしているとは聞いているけれど、多くの学校や地域では時間と共にできるだけ忘れてしまいたいことになってしまっているんじゃないだろうか。いじめ自殺なんていうのが大々的にマスコミを賑わせたのは東京の中学生が自殺した「葬式ごっこ」事件だったかな。中野富士見中学の鹿川裕史君が盛岡駅構内で自殺した事件だ。それが一九八六年二月。たぶん、「いじめ」という言葉が教育用語になったのはこの事件が最初だったんじゃないかなと思う。
 昨年の事件が起きたから騒ぎが再燃したようにはなっているけれど、現場ではずっといじめは課題としてついてまわっているよね。それは実感だよね。ということは自殺にいたるかどうかはともかく、いじめによって学校から切り捨てられた子どもってものすごく多いんじゃないだろうか。そんなことを思って思い出したのがこの絵本。本棚を探して久しぶりの対面をした。古くてもいい。いいものは紹介しなくっちゃ。
 この本は松谷みよ子という超ビッグな童話作家が作った絵本だ。初版が一九八七年十二月。鹿川君が亡くなった翌年だ。そして現在も出ている。私が買ったときは税込み一二〇〇円だったけど、今は税込みだと一二六〇円。内税から外税になっただけ、かな。偕成社の〈新編・絵本平和のために〉シリーズの五冊目に入っている。平和のための本なのだという。えっ?いじめと平和がなんで関係あるの?と思うかもしれないけどそれにはわけがある。松谷さんの『私のアンネ・フランク』(偕成社、一九七九年)という本を読んだ女性から手紙が来たそうな。本書はその手紙がもとになっている。その手紙には「差別こそが戦争への道を切り拓くのではないでしょうか…」とあったという。だから、いじめを見すごすことはアウシュビッツへの道なのだということで〈平和のために〉シリーズに入れてもらったんだと。
 本書は「この子は わたしのいもうと ……いもうとのはなし きいてください」というふうに、その女性からの手紙の形をとって語られていく。転校した先で出遭ったいじめ。そのいじめが淡々と語られる。そうあなたのクラスにもあるごくあたりまえの、そう、何でもないいじめ。ただのいじめ、ちょっとした遊び。でも、それが重なっていくと…味戸ケイコさんの絵がせつない。もともとが松谷さんに送られてきた手紙だから、いつわりのない説得力がある。
 私はもう何度この絵本を読んだかしれない。しばらくぶりでこの本を読んでみたけど涙がぽろぽろ出てきてとまらなくなる。でも前とは悲しさがちがうみたいだ。出会った子どもの数だけ悲しみが広くなる。抱きしめた子どもの数だけ悲しみが深くなる。最後の頁はほんとうにつらい。初めていもうと自身の言葉が出てくるのだから…。
 最初に紹介したように本書の初版は二十年近く前。でもいじめの本質は何にも変わっていない。だからこそ今、みんなに読んでもらいたい。

★★★★ いじめの残酷さにここまで迫った本ってそうないだろう。そして現場ではたくさんの「わたしのいもうと」を見すごしているのかもしれない。そして、それは戦争への道につながるものなのだ、と松谷さんは言う。たぶん読んだ人も多いだろうし、図書室にも置いてあるかもしれない。でも、教室に一冊ずつ置いて欲しいな。センセイが自腹切っても子どもたちに読ませてほしい。もちろんセンセイに読んでもらいたい。だっていじめを見すごしているのはセンセイなんだから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教育
感想投稿日 : 2010年4月4日
読了日 : 2010年4月4日
本棚登録日 : 2010年4月4日

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