流れとよどみ―哲学断章

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  • 産業図書 (1981年5月12日発売)
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文体は平易で美しく親しみやすいが、内容は難しい・・
「身振り、声振り」「ロボットの申し分」が印象的

[more]<blockquote>P6 またしきりに夢のとりとめのなさが印象づけられる。いま、川のほとり新高と思っていると山の上にいたり、【中略】人はこれらの神出鬼没や変身に驚く。しかし覚めた世界がやりきれないほどに平板であり、あまりにありきたりであることには驚かないのである。

P33 ミリンダ王の車

P47 理論的説明とは何かを理論から引き出すというよりは、その何かがその理論の中にしまい込まれていることを見せることなのである。あるいは、それがしまい込まれていることを見せるためにそれを引き出してみせることだ、と言ったほうがいいのかもしれない。

P62 小さすぎて見えないもの、遅すぎて(速すぎて)動いているのがわからないもの、そうしたものは「考える」ほかはない。われわれは動いていると考えているのである。

P83 声は人の排泄物ではない。その生身の流動的部分なのである。だから私がある人の声を聞くとは、とりもなおさずその人に触れられることなのである。互いに声を交わすとは互いに触れ合うことである。その触れ合いは時に愛撫であり時に闘争であるが、多くは穏やかな日常的触れ合いである。だがこの声の絡み合いによって人は人とつながれる。

P108 持続というものは点時刻の集まりではないと思う。ヨウカンの切り口にはヨウカンはない。だから切り口をいくら集めても一片のヨウカンもできない。ヨウカンあっての切り口であって、切り口あってのヨウカンではない。それと同様、持続あっての切り口であって、その逆ではないのである。

P118 恐ろしさのみならず、およそ喜怒哀楽の情が状況から剥がれて人の「心の中」にあると思うのは妄想である。

P140 あなたが人間である限り、正気の人間である限り、他人に心を「吹き込む」ことをやめないということです。この「吹き込み」は人間性の中核だからです。換言しますと、人間同士が互いに心あるものとする態度はまさにアニミズムと呼ばれるべきものなのです。

P163 (世界の眺め)私の目が360度全方位の魚眼でありそのエビかに的な枝が長大なものであるとする。そして私の身体は東京にあるが右目はパリのどこかに左の目はロンドンのどこかにあると。このロンパリ的視覚風景において「私」はどこにいるのだろうか。</blockquote>

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年10月18日
読了日 : 2013年10月5日
本棚登録日 : 2018年10月18日

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